ぼう論「新時代の社会福祉」。※大きく出すぎ

日本の社会福祉、とりわけわが国の社会福祉制度の根幹をなす生活保護制度は、最低生活費を算定しそれを下回った場合に差額を給付することになっています。この根底には、生活の質、ひいては人権の擁護を金銭で推し量ることができる、あるいは実現できるという考え方があるように思います。そして、この考え方は国民全体の合意が得られているために存続されているのだと思います。
このエントリでは、このわが国の社会福祉制度の根幹をなすこの考え方を再検証し、人権を守ることとと金銭を給付することを切り離すことは可能だと仮定して、わが国における将来の新しい社会福祉象を描くことができるか考えてみます。

最初に
このエントリは「人権擁護と金銭給付の切り離し」というわが国の社会保障制度の根本である生活保護制度のしくみ自体への形式的反論を出発的にした、非常に重要かつ根源的ではあるが、同時に非現実的かつ無茶な問いかけを前提にしています。このエントリでは、この問いかけ自体の妥当性は一切疑わないことにして、考えられる課題を限られたスペース(ブログのエントリは3,000字以内と決めている)とわたくしの根気の範囲で多角的に分析し、あるべき社会福祉の将来像を描いています。
ご指摘や反論は無尽蔵にあると思いますが、それは無しでお願いします。指摘・反論がある方はスルーしてください。万一、このお願いを破って指摘・反論を言う人が現れた場合、わたくしにはその人に対して毅然と平謝りする用意があります。

1 前提
(1)生活保護制度は「人権の擁護を金銭で推し量る」考え方に基づいている
わが国の生活保護制度は、日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権の理念に基づいています。(1)は、この制度の運用実態をわたくしなりに表現したものです。

この「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な費用(最低生活費)を金銭で算定し、収入がそれに満たない場合に差額を給付する、というのが生活保護制度の骨格です。

先に述べたように、この仕組みは「最低限の尊厳ある生活」を金銭という単一の尺度に換算しているように見えます。その結果、以下のような課題が生じています。

①人権の多面性の捨象
人間の尊厳は、食事や住居といった物理的な充足だけで満たされるものではありません。社会的なつながり、自己肯定感、学びや成長の機会、他者から尊重されることなど、金銭では直接的に購入できない価値が不可欠です。現行制度は、こうした非金銭的な人権の側面を十分にカバーできているとは言えません。

②スティグマの発生
金銭給付を受けることが「一人前ではない」「社会のお荷物」といったスティグマを生み出し、利用者の尊厳をかえって傷つけることがあります。これは、金銭の多寡が人間の価値と結びつけられがちな社会関係性において、特に顕著です。

③パターナリズム(父権的保護主義)
生活を制度が算定した「最低限」の枠内に生活を(あえて言うならば)押し込め、「お金をあげているのだから、これくらいの不自由は我慢しなさい」といった無言の圧力を生む構造になってはいないでしょうか。もしそうならば、このことは個人の自己決定権という重要な人権を制約しかねません。
これが是ならば、上の「人権を金銭で推し量る」という側面は、生活保護制度の本質的な課題として存在すると言えるでしょう。

(2)この考え方は「国民全体の合意」によっている
この点について、より慎重に表現すると「合意」というよりは「代替案が確立されていないことによる、消極的な容認」と捉える方が実態に近いと思います。

実際には、生活保護制度に対する国民の意識は一様ではありません。

①制度への批判
不正受給への批判、給付水準が高すぎるといった意見は根強く存在します。

②制度への無理解・無関心
生活保護制度の理念や実態を知らない人はたくさんいます。その人たちは、自分とは無関係なことと捉えがちです。

③制度改革の議論
専門家や支援団体の間では、生活保護の捕捉率の低さ(利用すべき人の2〜3割しか利用できていないという推計があります)、申請主義の弊害、資産要件の厳しさなど、多くの問題点が指摘され、絶えず改革が議論されています。

このように振り返ると、「国民全体の積極的な合意」にも増して、まず憲法第25条にいう生存権を保障する最後のセーフティネットとして不可欠であるという認識があり、その実現に向けて多くの課題を抱えながらも他に有効な代替策がないまま存続している、というのがより正確な現状分析であることに、ここまで書いてきて気づきました。設定が甘々でした。すみません。

それでは、このエントリの本論に入ります。

2 人権擁護と金銭給付の切り離しは可能か
これについて直接的な結論は、「完全な切り離しは、現実的ではない。しかし、両者の関係性を問い直し、再構築することは可能であり、かつ、それこそが新しい社会福祉の鍵となる」というものになると思います。

現代の貨幣経済社会において、食料、住居、医療、衛生といった物理的な生存基盤を確保するために、金銭は極めて有効かつ効率的な手段です。
全てを現物支給に切り替えることは、個人の選択の自由を著しく奪い、かえって人権を侵害する「大きな政府」や管理社会につながる危険性をはらんでいます。たとえば、全員に同じ食事、同じ衣服、同じ住居を支給することは、個人の尊厳を踏みにじることになるでしょう。
したがって、目指すべきは「金銭給付かその廃止か」という二元論ではありません。金銭給付の役割を「人間の価値を測る尺度」から「個人の自由と選択を支えるための普遍的な基盤」へと転換させることが重要になります。
それと同時に、金銭だけでは保障できない人権の側面を、社会全体で重層的に支える仕組みを構築することが求められるでしょう。

では、将来に向けてわが国の社会福祉制度はどのようになっていくのが望ましいでしょうか。

3 あるべき社会福祉の将来像を考える
ここまでの展開を踏まえて、あるべき社会福祉の将来像を考える上で重要となる3つの柱を挙げます。
これは、経済学者のアマルティア・センが提唱した「ケイパビリティ・アプローチ(潜在能力アプローチ)」の考え方からインスパイアされたを丸パクリしたものです。
アマルティア・センは、人が持つ「財(モノやお金)」そのものではなく、それを元手にして「何ができ、何になることができるか(=潜在能力、ケイパビリティ)」という「本当の豊かさ」に焦点を当てる考え方を示しています。

1つめの柱「金銭給付の再定義」
①「尊厳のための基礎所得(Dignity Floor Income)」
現行の生活保護制度を、スティグマや選別の色合いが濃い「最後の手段」から、全ての人の尊厳と自由な生活選択を支える「普遍的な基盤」へと変革します。

②給付付き税額控除の拡充とベーシックインカム的制度の導入
勤労世代を含む全ての低所得者層を対象に、社会保険料や税の仕組みと一体化した形で、自動的・捕捉率高く現金を給付する「給付付き税額控除」を抜本的に拡充します。
将来的には、これを「負の所得税」や、全ての個人に無条件で定額を給付する「ベーシックインカム」へと発展させていくことを目指します。

③目的の転換
この金銭給付の目的は、「最低限の生活の維持」ではありません。市民が経済的な不安から解放され、学び直し、起業、地域活動への参加、ケア労働など、市場経済では評価されにくい多様な活動に挑戦するための「機会の元手」と位置づけます。
これにより、金銭は人権を推し量る尺度ではなく、人権(自己決定権や自由)を行使するためのエンパワーメントのツールとなります。

2つめの柱「普遍的アクセスが可能な「人権保障サービス」の確立」
金銭給付だけでは解決できない課題に対応するため、所得や資産の有無にかかわらず、必要とする誰もがアクセスできる質の高い公的サービスを社会の共通資本として整備します。

①ハウジング・ファーストの徹底
まず安定した住居を提供し、そこを拠点に他の支援を行う「ハウジング・ファースト」の理念を、ホームレス状態にある人だけでなく、不安定な住居に暮らす全ての人に適用します。

②ケア・医療・教育への無償アクセス
医療、介護、保育、そして生涯にわたるリカレント教育へのアクセスを、経済的な障壁なく保障します。

③「伴走型支援」の標準化
ソーシャルワーカーなどの専門職が、一人ひとりの状況に寄り添い、制度の申請を手伝うだけでなく、社会的孤立からの脱却、キャリア形成、家族関係の調整など、その人が自らの人生の主人公となるためのプロセスを長期的に支援します。
これは、金銭では買えない「関係性の中での尊厳の回復」を目指すものです。

3つめの柱「多様な主体が参画する「包摂的コミュニティ」の醸成」
行政だけでなく、NPO、協同組合、ソーシャルビジネス、地域住民、企業などが連携し、フォーマルな制度の隙間を埋める重層的なセーフティネットを構築します。

①「居場所」と「出番」の創出
こども食堂、コミュニティカフェ、共同菜園、シェアオフィスなど、年齢や障害の有無、経済状況にかかわらず、誰もが安心して過ごせる「居場所」と、小さな役割でも社会に貢献できる「出番」を地域の中に無数に創出します。

②社会的孤立の解消
テクノロジーも活用しながら、孤立しがちな人々を見つけ出し、必要な支援やコミュニティにつなぐアウトリーチ活動を強化します。

③企業の社会的責任(CSR)の進化
企業が単なる利益追求だけでなく、従業員や地域社会の人々のウェルビーイング向上に貢献することを、その中核的な価値に据えるような社会経済システムへの転換を促します。

【結論】
このエントリの最初に挙げた「人権を守ることと金銭を支給することを切り離すことは可能か」という問いかけは、もう一度言いますが社会福祉の現状を無視したまったく無茶な問いかけです。
しかし、それに対する思考実験(屁理屈ともいう)としてエントリを書き進めるうちに、もしかしてこれは、今の社会福祉を原点に立ち返らせる問いかけではないかと思いかけました。もちろんこのエントリで述べたのは誤った自己陶酔を超えるものではありません。しかし、そういう理性を無視して考えないとエントリが書き進められませんでした。

そこで理性をいったんカッコに入れて考えた結果至った結論は、「人権を守ることと金銭を支給することを切り離すことは可能か」を実現させるのは「金銭給付を否定することではない」というものでした。

それには、①金銭給付を「個人の自由を支える基盤」として再定義すること、②普遍的な「人権保障サービス」と多様な主体が織りなす「インクルーシブなコミュニティ」という両輪を力強く駆動させることの2つがカギを握ることになると思います。

この新しい社会福祉の将来像は、単に貧困から救済するといった「マイナスをゼロにする」社会福祉ではなく、「ゼロをプラスにする」、すなわち、すべての人が尊厳を保ち、自らの潜在能力を開花させ、豊かに生きることを積極的に支援する社会を目指すものになると思います。
それこそが、実は憲法25条が真に目指す「健康で文化的な生活」の、現代における具体的な姿と言えるのではないか、と弱々しく宣言してエントリを終えたいと思います。

お時間を取らせて、本当に申し訳ございませんでした。m(_ _)m

生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟の最高裁判決について(厚生労働省報道発表)

生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟の最高裁判決が、本年6月27日言い渡された。
これについて、厚生労働省は次のように報道発表した。

***
生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟の最高裁判決について

生活保護基準引下げ処分取消等請求訴訟(第1審:大阪地裁及び名古屋地裁)について、本日、最高裁判所で判決が言い渡されたので、お知らせします。

1.判決言渡しのあった裁判所及び年月日
最高裁判所 令和7年6月27日

2.訴訟の内容
厚生労働大臣は、平成25年から平成27年にかけて、生活保護法による保護の基準(保護基準)中の生活扶助基準の改定(本件改定)を行い、被告各市の福祉事務所長らは、原告らに対し、本件改定を理由として、生活扶助の支給額を変更する旨の保護変更決定を行った。本件は、原告らが、本件改定は違法であるなどと主張して、
①被告各市を相手に上記保護変更決定の取消しを求めるとともに、
②被告国に対し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めたもの。

3.判決の内容
自治体による保護変更決定処分を取り消す。
原告らの国に対する損害賠償請求を棄却する。

個人経営のお店ではキャッシュレス決済を使わない。

わが国は、2025年までにキャッシュレス決済比率40%にすることを目指しているらしい。
しかし、世間ではキャッシュレス決済をやめるところが増えている。
先週、たまにいく和菓子屋のレジ前に、キャッシュレス決済を止めたという貼り紙があった。
また、ファミリーマートも現金払いを歓迎すると宣伝している。
なぜだろう。

私たちが飲食店で食事をする。
その支払いは、キャッシュレス決済でも現金払いでも、支払う金額は変わらない。
しかし、お店はキャッシュレス決済にされると支払額の2~3%を手数料として決済会社に支払うことになる。
たとえば、お客が1,000円払ったとする。この場合、手数料は20~30円である。
なんだ20~30円か。お客はそう思う。
しかし、この認識は間違っている。
お店の側からこれを見ると、手数料の負担は1,000円のうちの20~30円ではない。
利益から20~30円を払っているのである。

もう少し詳しく説明する。
お客がお店で飲食する。支払いは1,000円である。
お店は、この1,000円から、材料費、光熱水費、人件費、家賃、販売管理費などを支出する。
それらを引いた残りが利益である。
飲食店の利益は業態や店舗その他の条件によって相当開きがあるが、一般的に8~9%と言われている。
すなわち、売り上げを1,000円とすれば、利益は80~90円である。
お店は、ここからさらにキャッシュレス決済の手数料を払っているのである。
もし、お客が現金で支払ってくれれば、店の利益は80~90円である。
しかし、キャッシュレス決済を使われれば利益の80~90円から手数料を20~30円引かれる。
その結果、利益は50円~70円になってしまう。現金払いとキャッシュレス決済では、利益が3割以上も違うのである。

お客は、自分が支払った金額から考えるので1,000円のうちの20~30円と思いがちである。
しかし、お店にしたら80~90円しかない利益から20~30円払うのだから大変である。
世間でキャッシュレス決済をやめるところが増えている理由はこれである。
特に、利益率が低い業種においてキャッシュレス決済手数料の負担は死活問題になりかねない。

そのような問題があるにも関わらず、キャッシュレス決済を歓迎している店もある。
理由はいくつもあるが、支払い手段を多様にすることで多くのお客に来てほしいというのをよく聞く。
これはこれで、ひとつの営業戦略だと思う。

では、お客である私たちはどうすべきなのだろう。
私は「個人経営のお店ではキャッシュレス決済を使わない」と決めている。上に挙げたように、お店の負担が大きすぎるからだ。
反対に、上場企業やそれに準ずる大きな会社が経営する店舗ではキャッシュレス決済を使うことがある。こうした店舗はそもそも体力があって手数料負担では経営が苦しくなり難いし、売上に比例して決済手数料がディスカウントされていると考えられるからだ。

お客からすると、キャッシュレス決済を使うとポイントが貯まる。使い慣れると現金払いより支払いがスムーズに行えるなど利点が多い。
だが、資本主義社会で物を買う行為には、そのお店なり会社の将来に一票を投じるのと同様の意味があるといわれる。
お気に入りのお店や会社にはできるだけよい形で商売や事業を続けてほしいと思う。
そのことを考えれば、少々のポイントや利便性に目をつむって現金で支払うことがあってもいいのではないか。

これは、あくまでも私の流儀である。
みなさんは、どう思われるだろうか。

ローマ教会、新しい教皇を選任

“La pace sia con tutti voi!”

カトリック教会は、第267代教皇としてロバート・フランシス・プレヴォスト(Robert Francis Prevost)枢機卿を選任した。教皇就任後はレオ14世を名乗る。プレヴォスト枢機卿は前教皇庁司教省長官。アメリカ出身の教皇は初めて。
今回のコンクラーベは2日目に4回目の投票で教皇を選任した。
選任後初めてバルコニーに現れたプレボスト枢機卿は、広場に集まった信者らに冒頭に引用した言葉を皮切りにイタリア語で呼びかけを行った。加えて、特にペルーの信者らに向けてスペイン語でもメッセージを送った(プレヴォスト枢機卿は2015年にペルー国籍を取得している)。

フランシスコ第266代ローマ教皇聖下が、4月21日帰天

“ローマ司教”(教皇)フランシスコ聖下が、4月21日午前7時35分(日本時間午後2時35分)、サン・ピエトロ大聖堂に隣接するサン・マルタ館(自宅)で逝去された。88歳だった。

+聖下に神様の平安がありますように。

※教皇フランシスコ聖下は、就任以来自ら「教皇」を名乗らず、一貫して「ローマ司教」の呼称を用いていた。本文冒頭の表記は聖下を偲びそれに倣った。

 

コーヒー界隈が知らないうちに科学的になってた件

飲んでますか、コーヒー。

わたしはコーヒー好きです。
まあ、めちゃくちゃ好きとか詳しいっていうんじゃないですけど、仕事帰りにスタバに立ち寄るぐらいには好きです。
最近は、夕方以降に飲むと睡眠の質が下がるとか、いろいろと言われてるのでどうしようかとは思っています。このことはまた改めて書きます。

今日の本題は「コーヒー界隈が知らないうちに科学的になってた件」です。

いやーすごいことになってますよ、コーヒー界隈。
この前、コーヒー専門店の若手社員A君と話しをする機会があったんです。
びっくりしました。彼がとうとうと語ったのは「Brix」「TDS」「EY」「pH」なんていう、どっちかというと、白衣にマスク姿の科学者を思わせるような話だったんです。彼の言葉でわたしがかろうじて知っていたのはpHぐらいでした。「挽き立ての味と香り」とか「名人が淹れるコーヒー」なんていうのを喜んでたのは、いつのころでしたっけ。

上で出てきた科学みたいなコーヒー用語について、教わったのでメモしました。どうもこれを知らずに今のコーヒーシーンは見え無さそうだったので(サンプル数n=1)。
メモは、ほぼ記憶に頼っています。それに自分の知識をまぜて書いているので間違っていたらごめんなさい。

【Brix】
Brixとは「糖度」です。糖度は100g中にショ糖(砂糖)、果糖、転化糖、ブドウ糖などがどのぐらい含まれているかを%であらわしたものです。
これを測るのが糖度計です。糖度計はおもに光の屈折を利用して測り、それをBrix〇%という単位で表示します。
たとえば、100gのショ糖液にショ糖が1g溶けていたら、Brix値は1%です。
ここで注意が必要なのは、Brix値は糖以外の成分も含んで表示するってことです。
たとえば、炭水化物やタンパク質、リン、カルシウム、ナトリウムなんかが入っているとそれも含んだ値が表示されます。

では、コーヒーの濃さを知りたい場合は、どうするか。
まず、砂糖やミルクの入っていないブラックコーヒーを用意します。これで、Brix値から糖の影響を排除します。
それを糖度計に掛けます。
すると、糖度計は糖以外の水に溶ける成分(これを可用性固形物といいます)の濃さをBrix値として表示します。
水でコーヒーを抽出しただけだと、可用性固形物はすべてコーヒー豆由来のはずです(説明を簡単にするため、水質の影響は考えないことにします)。
このBrix値からコーヒーの成分がどれぐらい含まれているかを知るには、示された値に0.79を掛けます。
どうして0.79なのかは教わったんですが忘れてしまいました。とにかく記憶によれば0.79です。
これで出た結果が、次のTDS値です。

【TDS】(Total Dissolved Solids =総溶解固形物)
TDSは、その水に溶けている総ての物の濃度を表す値です。それを測るための道具として、TDS計とかコーヒー濃度計なんでいうのがあるみたいです。
Brixのところで書いたように、Brix値がわかればそれに0.79を掛けてTDS値を求めることができます。
Brix値×0.79。これで得られた数値がコーヒーに入っているコーヒー成分の割合です。
たとえば、Brix値が1.3%だったらTDS値は1.0%になります。
一般にTDS値は、ドリップコーヒーでは1%前後、エスプレッソでは8~9%だそうです。

【EY】(Extraction Yield=収率)
EYというのは、使ったコーヒー豆の成分がどのぐらいコーヒーに抽出されたかを表す数値です。EYを求める計算式は、こんな感じです。

EY=(抽出したコーヒーの量(g)×TDS(%))÷使ったコーヒー豆の量(g)×100(%)

たとえば、スターバックスのドリップコーヒー(ショートサイズ)240グラムのTDSを測ったとします。TDSが1.0%だったら、そのコーヒーには2.4gのコーヒー成分が抽出されています。このコーヒーを抽出するのにスターバックスがコーヒー豆12gを使っていたら、抽出された成分の割合は20%です。この20%がEYです。
ドリップコーヒーの適正なEYは18%~22%らしいです。EYがそれより高すぎると、味が強く飲みにくさを感じるようになり、反対に低すぎると薄くて味気なくなるそうです。これは想像できますね。

【pH】(Potential Hydrogen=水素イオン指数)
まずおさらいです。pHは0~14の数値で表されます。数字が小さいほど酸性度が強く、大きいほどアルカリ性が強いことを示します。中性はpH7です。
コーヒーのpHは5前後です。つまり弱酸性です。
コーヒーのpHはいろいろな要素で変化します。
まず、水の影響は決定的です。なにしろドリップコーヒーは99%が水です。コーヒーのpHはどんな水を使うかで決まります。
また、豆の産地も影響を与えます。たとえば、ケニアやマンデリンなどの酸味が強いコーヒー豆で淹れるとpH4ぐらいになるそうです。
さらに、焙煎によっても変わります。深煎りにすると弱酸性から中性寄りになるそうです。

今、というか少し前からだそうですが、研究熱心なコーヒー専門家はこんなことも考えながらコーヒーを淹れているそうです。

話しを聞いていて、これってスペインにあった三つ星レストラン「エル・ブジ(=El Bulli)」のオーナシェフ、フェラン・アドレア氏がいう「分子ガストロノミー」に少し似ているかなと思いました。いや、違うか。
Aさん、ありがとう。楽しいお話でした。もしこれを読まれて間違いに気づかれたら教えてください。

阿部詩選手の号泣を擁護する

パリオリオンピック、女子柔道52キロ級で2回戦敗退した阿部詩選手の号泣が賛否両論を巻き起こしている。

柔道では無敗を誇るわたくし(高校で初段になって以来、一度も試合に出ていないから)の周辺では、敗れて畳を降りた後に3分近くも会場に響き渡るほど号泣し続けて、後の競技進行を妨げることになった阿部詩選手の振舞いに懐疑的な意見が多い。私が師匠と慕う年下のジュードーマスター(2段。ここ20年はアームチェア柔道家として主戦場を居酒屋に移し、もっぱらアルコールと戦っている)もテレビ中継でその場面を見て「”残心”がなっていない」と指摘し酷評していた。

だが、私の意見は”師匠”と少し違う。オリンピックの”JUDO”はあれでいいのではないかと思うのである。戦いは試合場内で終わっている。畳から降りて泣きじゃくるのは個人の感情の発露であって基本的に自由である。マナーの問題や後の競技進行に影響が出たというのは、せいぜい出場選手として問われることで「柔道家として残心云々」と指弾されるのは違うんじゃないかな、と思うからである(このエントリを”師匠”が見ないことを強く望む)。

なぜか。オリンピックのあれは”JUDO”であって「柔道」ではないからだ(柔道家が畳を降りた後も”残心”の必要があるか否かはここでは言及しない。その筋の人がうるさいことを言い出しそうなので)。

そう思ったのは、パリオリンピックの中継を見ていて、現地のフランス人リポーターがこの競技を“ル・ジュウドウ”と呼んでいることに気づいたからである。

lost in translationという言葉がある。
インターネットで”lost in translation”を検索すると『ロスト・イン・トランスレーション』という映画がヒットする。この映画は、映画監督フランシス・コッポラの娘で自身も映画監督のソフィア・コッポラがアカデミー賞受賞作(脚本賞)を取った同名の作品(2003年公開)があるが、それではない。
”lost in translation”は「異なる言葉の間では文化をまるごと正しく移し替えるのは無理で、かならずなにかが変わったり失われてしまう」という意味合いの言葉である(この括弧内の説明も lost in translation である)。
つまり、”JUDO”にせよ、ル・ジュウドウにせよ、日本人が「柔道」という言葉から受け取っているものとは違っているのである。

少々経験者向けの話になるが、たとえば、パリオリンピック男子柔道日本代表監督・鈴木桂治監督は7月31日に行われた男子90キロ級の決勝戦を振り返って、ジョージアのラシャ・ベカウリ選手に負けた村尾三四郎選手について「詰めが甘かった」と報道陣のインタビューで語った。

鈴木発言の真意を読み取るのは難しい。

ペーパー初段として解説を試みると、「柔道」では技を掛けにいくことで技ありが認められるが、オリンピックなどで行われる”JUDO”では返し技に技ありを認める傾向が強いと言われている。上のベカウリ対村尾戦では、残り1分で村尾選手が内股を仕掛けた。しかし審判はこれに技ありを取らなかった。これに対してベカウリ選手が残り4秒で技ありを決めた。このあたりのニュアンスは説明が難しいが、そういうものだと思ってもらいたい。鈴木監督が言外に含んだのは、残り1分で村尾選手が技を掛けた時に、技ありではなくもっと踏み込んで一本勝ちをとるべきだったということではないだろうか。
この決勝戦については、日本では誤審、ひいては八百長だと根拠不明の批判をする人まで出たが、鈴木監督は冷静だった。それは、鈴木監督が冷静にこの「競技」を”JUDO”として捉えているからだと思う。鈴木監督のコメントは lost in translation を踏まえたものであると思う。

阿部詩選手を含むすべてのオリンピックJUDO出場者は、当然この競技が「柔道」ではなく”JUDO”であることを理解し合意して出場している。
したがって、阿部詩選手にとって試合後のあの場はあくまでも”JUDOの試合後”であって、「柔道」家としての時間ではなかったと思う。
私が阿部詩選手を擁護するのはこうした理由からである。

救護施設の個別支援計画。保護施設版の様式には置き換えないことになりました。

令和6年度救護施設経営者・施設長会議が、5月23日~24日東京都千代田区の灘尾ホールで開催された。
今回の会議では、この春の法律・制度改正を受けて救護施設の事業運営がどう変わるかが話題の中心だった。その中でも、個別支援計画の制度化がどのような影響を与えるかに焦点があたった。

会議での説明は次のようなことだった。
・個別支援計画の制度化についてはこの会議の時点で省令が発出されておらず不明である。
・だが、個別支援計画を作成して支援を行う取り組みは、すでにほぼすべての救護施設で行われおり、制度化によってまったく新しいことに取り組むのではない。
・個別支援計画の作成手順は、現在およそ3/4の救護施設が使っている『全救協版救護施設個別支援計画書』(2019年版)のとおりであり、これは制度化以降も変わらない。
・今回、厚生労働省からの受託事業として全国社会福祉協議会が新しく案出した保護施設(救護施設、更生施設)版「個別支援計画書(様式例)」は、個別支援計画制度化の目的である福祉事務所との情報共有・連携のためのものである。
・すなわち、「個別支援計画書(様式例)」の使い方としては、従前のとおり『全救協版救護施設個別支援計画書』(2019年版)で個別支援計画を作成し、そのエッセンスを転記するような感じになると想定している。
・制度化によるもっとも大きな変化は、福祉事務所に施設で作成した個別支援計画が渡るということである。これによって、これまで施設内(利用者・職員間)で完結していた個別支援計画が外部の目に触れることになる。これによって、当然その適否と実行の有無が福祉事務所から問われることになるだろう。
・時間が経ち、福祉事務所に救護施設から提出された個別支援計画が積み上がってくると、福祉事務所は、それぞれの救護施設が行っている支援の違いが判るようになる。
・それが、それぞれの救護施設の強みを知り、来談者をより適した救護施設に措置するというようによい方向に活用されるのか、単純に「いい施設、悪い施設」のような形で選別に使われるのかは、今のところなんとも言い難い。
・個別支援計画の制度化を契機として、それぞれの救護施設が持つ強み弱みを地域あるいは全国の救護施設で補いあうことで、そのレジリエンスを高められればと思っている。

以上は前嶋の理解による聞き書きである。言葉も前嶋の理解によって適宜置き換えている。

この説明中、前嶋個人としては次のところが大変重要だった。
「保護施設版「個別支援計画書(様式例)」の使い方としては、従前のとおり『全救協版救護施設個別支援計画書』(2019年版)で個別支援計画を作成し、そのエッセンスを転記するような感じになると想定」

救護施設の個別支援計画に当初から関わっている私にとって、これは大変な重要な整理だと感じた。
「個別支援計画書(様式例)」については、その項目を委員会で検討してる時から2019年版との取り合いをどうするかが議論になっていた。しかし、この会議までは結論めいたものがどこにも無かった。
このため、現場では作成手順をできるだけ簡略化したいという思いから、保護施設版の「個別支援計画書(様式例)」と2019年版で項目が重複している「ニーズ整理表」「支援計画」「同意書」を置き換えられるのではないかとの意見が支配的だった。私も研修等で尋ねられると、そういうアレンジが可能かもしれないと答えてきた。
ところが、今回の説明で、これは明確に否定された。この度の制度化によって、救護施設の個別支援計画は変わらない。福祉事務所との情報共有・連携用として、新たに保護施設版「個別支援計画書(様式例)」が加わるのであると整理されたのである。
個人的には、この整理に大変満足している。同時に、これまで現場の空気を「忖度」してお話してきたことを改めなければならない。ミスリードをお詫びしたい。

さて、みなさん。大変な説明がありました。
上のとおり、保護施設版「個別支援計画書(様式例)」は福祉事務所との情報共有用です。救護施設の個別支援計画は、これまでと同様に『全救協版救護施設個別支援計画書』(2019年版)を使って作成しましょう。その上で、どちらも施設ごとにアレンジはできますので、手数を減らしたい施設はできるだけ省力化を考えましょう。

そういえば、私、先月もどこかの研修で「置き換えできるかも」って言ってしまいました。
これは、訂正行脚に出ないといけないかも。

テキストのコピーはできません。