職場で避けるべき話題(※)として有名な「目玉焼きになにをかけるか」論争に結論が出たとツイッターに投稿があがりました。
スタジオジブリの公式が、宮崎駿監督の発言として「目玉焼きは洋食なのでソースです」を紹介し、これをもって論争は「終了しました」と言っています。
※本当に職場で避けるべき話題は、「政治」「お金」「宗教」「家庭」の話しです。念のため。
私は、1976年に「カルピス名作劇場 フランダースの犬」を観て以来、宮崎監督には最大限のリスペクトを払っています。しかし、この発言にはまったく同意できません。
わが国には「洋食」「和食」「目玉焼き」という3つの食があります。
私がここで主張するのは「目玉焼きは”目玉焼き”という独立した食である」ということです。
その理由を、実例を用いてごく簡単に説明します。
宮崎監督の定義は、ソースをかけるのが洋食で、醤油をかけるのが和食というものです。
ご同意いただける方も多いと思いますが、目玉焼きは、ソースをかけても醤油をかけても目玉焼きです。かけるものによって、洋食に見えたり和食だと感じたりすることはあるかもしれませんが、彼は「目玉焼き」と呼ばれたままです。
このように、目玉焼きには他の料理とは異なって、そのようなことでは揺らがない強力なアイデンティティ(?)があります。
なにが言いたいのかというと、目玉焼きは、ソース=洋食、醤油=和食、の分類にはまったく当てはまらないということです。だから、洋食でもなく、和食でもない、”目玉焼き”という「食」だと言えます。
一般に私たちがイメージする目玉焼きは、たとえばなか卯の「目玉焼き朝定職」についてくる目玉焼きです。
この「目玉焼き朝定職」の目玉焼きには、100人中100人が醤油をかけます(※)。
だから、この目玉焼きは和食です。
※なか卯のカウンターには醤油しか用意されていないからです(ソースはありません)。
しかし、目玉焼きは調理方法次第で完全な洋食になります。
たとえば、おうちで簡単に作れる”イタリア風フライドエッグ”です。
コンロにフライパンを傾けて置き、多めのオリーブオイルを入れます。
火をつけて、オリーブオイルの溜まったところに卵を割って入れます。
温度を上げていって、熱くなったオリーブオイルを大きめのスプーンで卵に掛けまわしながら加熱します。
すると、まず白身がふくらんでカリカリになります。
そのうちに、卵全体に熱が回って揚げたようになります。黄身が半熟になったら出来上がりです。
この方法で作ると、目玉焼きは言葉どおりの”フライドエッグ”になります。
できた目玉焼きをスプーンですくって皿に移し、塩コショウを振って完成です。
味付けをひとつで済ませたいならクレイジーソルトでもかまいません。
もしこの目玉焼きに、塩コショウの代わりにかけるとしたら、ソースでしょうか醤油でしょうか。
断言しますが、これにはソースしかありません。醤油だと破綻します。
つまり、この”イタリア風目玉焼き”は洋食です。
※余談ですが、ごちそう感を出したい時は、最初にオリーブオイルを温める時に、刻みたてのニンニクひと欠片と鷹の爪一つまみをいれて煮たたせ、香りをオイルに移します。ニンニクと鷹の爪を引き上げたところに卵を割り入れて作ると、めちゃくちゃアーリオ・オーリオでペペロンチーノなフライドエッグが、もうこんなに(変)。
では、喫茶Y(大阪・中津)のモーニング、ベーコンエッグの目玉焼きはどうでしょう。
注文して、さあ出てきました。なんと目玉焼きの上にカリカリのベーコンが覆い被さっています。
ふつうベーコンは下です。逆やろ、とつっこまなければ先に進めません。ここは大阪ですから。
そのベーコンは半端な量ではありません。目玉焼きがほとんど見えません。爆盛りです。
その下の目玉焼きも半端な数ではありません。卵は4個も使われています(本当)。爆盛りです。
これになにをかけるかというと、もうソースでも醤油でもありません。
目玉焼きには、すでにベーコンがかかっているからです。ベーコンをかけて食べます(言葉がバグっています)。
そして、これは、なんでしょう。味噌汁がついています。
あ、トーストもついています。それも尋常なボリュームではありません。一斤です(本当)。
そういえば、パンの向こうには本命のはずのコーヒーが見え隠れしています。うーん、このモーニングは洋食かな、和食かな。
宮崎説では、洋食はソース、和食は醤油と決まっています。
目玉焼きは、ソースや醤油だけでなく、塩、胡椒、唐辛子、果ては喫茶Yのようにベーコンをかけることもあります。そして、そのどれとでもうまくやっていけます。
このように、まわり次第で何者にでもなれる目玉焼きは、洋食、和食の枠の外にある、第3の食だと言えるのではないでしょうか。言えるよね。言っていいかな。ねぇ。