「大東亜戦争終結ノ詔書」現代語訳(BuzzFeed Japanより)

今日、8月15日は「終戦記念日」です。メディアは、前の戦争についてさまざまな形で取り上げているでしょう。
※このエントリは事前に書いています。

もしかするとみなさんご存知かもですが、1945年8月15日を「第二次世界大戦が”終戦”した日」としているのは、戦争当事国では日本だけです。
8月15日は、玉音放送で有名な「大東亜戦争終結ノ詔書」がラジオで流れた日です。

玉音放送をめぐっては、陸軍青年将校がポツダム宣言の受諾に反対してクーデターを起こそうとし、これに同調した部隊が皇居やNHKの一部を占拠した、いわゆる宮城事件など書きたくなることも多いのですが、長くなるので今日は止めておきます。

お話を戻して、第二次世界大戦の正式な終結日は1945年9月2日です。これは日本の全権大使が天皇陛下の命により戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に署名した日です。
アメリカは、この日、トルーマン大統領が第二次世界大戦を勝利で終えたと、国民に宣言しています。アメリカの「対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)」はこれによって9月2日です。

ところが、すべての戦争当事国が第二次世界大戦の終戦日を9月2日としているかといえば、そうではありません。

ロシアは、9月2日ですが、これに至るまでは紆余曲折がありました。
1945年、旧ソ連が戦勝記念式典を行ったのは9月3日でした。これは降伏文書に署名した翌日です。旧ソ連では、当時この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日と定めました。
1日ずれているのは、どういうわけか旧ソ連が9月2日にまだ対日戦争中だったからです。スターリン率いる旧ソ連は、戦争末期の1945年4月5日、モロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約を延長せず「廃棄」することを通告、次いで1945年8月8日、突然日本に宣戦布告しました。そしてミズーリ号の甲板で日本が英米中蘇の代表を前にして降伏文書に署名していた9月2日に、なんと旧ソ連軍は千島列島の歯舞群島への攻略作戦を始めました。旧ソ連がこの作戦によって千島列島全島を占領したのは3日後の9月5日でした。上に書いたように、9月2日はまだ戦いの最中だったのです。しかし一方で、旧ソ連も連合国の一員としてミズーリ号で降伏文書の調印式に出席していました。その手前、終戦について知らんぷりもできず、9月3日に戦勝記念式典を行って体裁を整えたのでした。旧ソ連では、この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日に定めました。
ところが、その旧ソ連は1991年に崩壊します。その政権を受け継いだロシア連邦共和国議会は、2010年7月に9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決しました。これによってロシア(連邦共和国)の戦争終結日はアメリカと同じ9月2日に変わり、今に至っています。

中国は9月3日ですが、事情はさらに複雑です。
当時、中国は第二次世界大戦に参戦しながら、国内も内戦状態で蒋介石率いる国民党軍と毛沢東の共産党軍が衝突していました。日本軍は、正式には帝国陸軍支那派遣軍が国民党軍と戦っていましたが、これとは別に、北部の華北地方では満州国に駐屯する関東軍が共産党軍と戦っていました。
事態が急変するのは、1945年です。戦局が悪化し帝国陸軍支那派遣軍が国民党政府に降伏しました。ところが、この年、旧ソ連軍が満州との国境を破って南下、共産党軍に加勢します。関東軍もこれに敗れて降伏しました。
戦争に負けて軍隊が投降すると、勝った側は武装解除を行います。帝国陸軍支那派遣軍の武装解除を行ったのは当然国民党軍でした。一方で、関東軍は旧ソ連軍に投降しましたが、武装解除を行ったのは共産党軍でした。ソ連軍が投降した関東軍兵士を共産党軍に引き渡したからです。
ともあれ、中国大陸で戦っていた日本軍は、国民党軍と共産党軍の2つから武装解除を受けたことになります。ここで問題は、中華人民共和国の成立が1948年だということです。つまり、国民党軍によって武装解除された帝国陸軍支那派遣軍とは異なり、まだ国家が成立していなかった共産党軍と関東軍は明確な形で降伏文書が交わせない状態だったのです。
結局、中国が正式に戦後処理に取り組んだのは、共産党が政権を取り国内が安定してきた1956年でした。中国が9月3日を「対日戦勝利記念日」と正式に定めたのは、さらに下って2014年です。

では、8月15日はなんの日なのでしょうか。
事実だけを言えば、連合国側が日本の戦争後の日本のあり方を定めた「ポツダム宣言」を受け入れたのは、8月14日です。これは同日全世界に公表されていました。
アメリカでは、8月14日に日本が降伏すると報道されました。当時の報道によれば、トルーマン大統領は14日にポツダム宣言の内容をアメリカ国民に説明した上で日本がそれを受け入れたといい、「対日戦勝記念日」は9月2日に予定されている降伏文書への調印を見届けた上で布告するとしています。
それを受けて、8月15日に、天皇陛下がポツダム宣言を受け入れたこと、戦争を休止することを国民全員にラジオを通じて直接語り掛けます。それが「玉音放送」、正式には「大東亜戦争終結ノ詔書」です。

そのように考えれば、8月15日は手続き上の終戦日ではありませんが、もっと重要な日、つまり、わが国が永く世界平和を実現しようと決意した、「永久に戦争を終えた日=終戦の日」と言えるのかもしれません。

そんなことを考えて、この機会に玉音放送でなにが語られたのかを詳しく知りたいと思いました。
しかし、この放送の文字起こしを読んでも、私には難解過ぎてイマイチあたまに入ってきませんでした。

どうしたものかとインターネットを検索していたら、BuzzFeed Japan編集部が、自社サイトに現代語訳を掲載されているのを見つけました。一読、すごくいい現代語訳だったので、リンクを貼ってオリジナルサイトにジャンプできるようにしようと思いました。
しかし、今後、万一リンク切れしてしまったらあまりに惜しいので、念のため以下に引用させていただきました。オリジナルサイトへのリンクは文末に載せています。

私は、これは祈りだと思います。みなさんはいかがでしょうか。ぜひご覧ください。

「終戦の詔書」の現代語訳(BuzzFeed Japan編集部)

私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます。

アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました。

そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません。

しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。このように各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています。

これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました。その惨害はどこまで広がるか計り知れません。戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう。そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。

私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。

思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう。私は国民の心中もよくわかります。しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います。

私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、それは、私が最も戒めるところです。

挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。

監修 麗澤大学 川上和久教授
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/gyokuon-hoso?ref=hpsplash

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