計画運休とエッセンシャルワーカーと自重する私

台風一過。今朝は、雲が無いわけではありませんが涼しくて気持ちいい朝でした。
ニュースを見ると、昨日に近畿地方を縦断した台風7号は、橋を押し流したり土砂災害を起こしたりと多くの爪痕を残していきました。被害にあわれた方に心よりお見舞いを申し上げます。

一方、私のまわりでは、言うほどの被害も社会的影響も見られませんでした。これはひとつには、交通機関の「計画運休」が社会の仕組みとして一般化したことが大きいように感じます。

計画運休は、昭和半ばから新幹線や長距離列車で行われていました。これが、はじめて大都市近郊区で行われたのは2014年の台風19号の時だと言われています。
この時は「あらかじめ予定が立てられるのでよかった」「いや動かせる限り動かすべきだ」などと議論百出だったようです。
計画運休はその後も年2回ほど行われてきて、今では一定の社会的承認(容認かもしれない)が得られるようになっています。それは、都市部では同じ目的地へ向かうのに複数の経路があること、仮に公共交通機関が全て止まっても、クルマでなんとかなるということも理由かもしれません。

おそらくそれより大きいのは、計画運休に合わせてコンビニや飲食店などがあらかじめ休むようになったことだと思います。これで物流も動かなくて済みます。人流と物流が止まると、社会全体が休止モードになって、結果的に台風の被害を受けにくくなるし、社会的影響も少なくできているんじゃないかなと思います。
台風の時は、よほどのことが無い限り家でじっとしているのが一番ですよ。

ところが。そんな中「毎日がよほどのこと」のエッセンシャルワーカーはなんとかして仕事にいくわけですよ。
これは専門職としての使命感もありますが、あえて聞けばたいがいの人が「そういう仕事だから」と答えるはずです。身内贔屓でややおおげさに言い換えれば、これは「そういう生き方を選んだんだから」という気持ちです。
なので「計画運休」と聞くと、ぶっちゃけ前の晩からアドレナリン多めになっている人が多いです。
出勤状況を調整している現場ではアドレナリンが出ている人同士が相談しているので「誰それの通勤ルートは電車が止まっているが、それでもこう迂回すればなんとかなる」「それじゃ来れる駅までみんな来てもらって、何人か揃ったら迎えのクルマを出そう」なんてやってます。
ちょっと待て。判断材料は交通機関の状況だけじゃない。雨や風の状態はどうした。
放っておけば議論は出勤できるできないに終始して、誰からも積極的に休ませる話は出てきません。もうイケイケです。

専門職として現場を預かっていていつも思うのは、職員一人ひとりが、クライエントにとってもチームにとっても、かけがえのないオンリーワンだってことです。それは、家族同士の関係に近いかもしれません。誰かが誰かに代わることなんてできない関係です。
社会福祉施設は、そんな大切な人たちをご家族からお預かりして、職場に迎えているんです。この人たちとクライエントの個別的関係性が、現場における支援の基盤だし、チームの力の源泉です。
だから、職員がアドレナリン全開で出勤しようとするのを聞くと「自分もそうだったし大変頼もしいけど、くれぐれも無理はしないでくれよ」と言います。そして、気持ちは尊重するが、絶対無理させちゃいけないと改めて心に定めます。

でも、正直そういう現場で行われているイケイケの話しに入って、いっしょに盛り上がりたいと思ってしまうところ、私はまだまだです。むしろ私をフォローしてくれている「次長級」の方が冷静沈着です。もちろん、私も自重はしてますけどね。

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