原発界隈が騒がしいです。中国が福島原発の処理水を「汚染水」と呼んで、海洋放出に猛反発しているのが原因です。おかげで、インターネットを含むメディアでは賛否両論、侃々諤々の議論が起こっています。
このことをマスコミが頻繁に取り上げているからだと思いますが、非常勤で授業を受け持っている大学の学生さんから「先生は原発について賛成ですか反対ですか」と尋ねられました。
普段なら「専門家じゃないのに責任持って答えられないよ」とか言うところですが、その日は後の予定もなく時間があったので、私がニュースを見ていて感じることを率直に話しました。
以下の箇条書きは、それを思い出しながら書きとめたものです。
・原発に賛成か反対か、それは「時間軸」と合わせて考える必要があると思う。
・大前提として”原発は手に負えない”。私はそういう印象を持っている。ただし、私は専門家ではないのでこれはあくまで印象に過ぎない。この印象は、東日本大震災の時、原発事故のニュースをリアルタイムで見ていて感じたことが根っこにある。
・しかし、私たちの生活はすでに原発があることを前提に成り立っている。
・すなわち、いまこの時点で原発を止めるということは、原発によって安い値段で実現できているこの便利な生活をただちに捨てることになる。このことを理解しなければならない(原発が、本当に安くつくかどうかは別の問題である)。
・ある人はそれでも原発を止めるべきというだろうが、私の考えでは、ほとんどの人はノーだと思う。
・それならどうするか。時間をかけて、原発を止めることと同時に、それでも便利な生活がなるべく維持できるよう、社会全体を変えていくことを考えなければならないのではないか。
・おそらくこれは価値観の変化を伴うので、私たちが払う時間的、社会的コストは非常に大きなものになるだろう。
そんなことを言って学生さんがなにか言ってくるかと身構えましたが、そんなこともなく「そうなんですね」と言われただけでした。学生さんにしてみれば、最初に「専門家ではない」と断った時点で、もうどうでもいい話に思えたんじゃないでしょうか。
それにして、これって「わかりません」の非常勤講師的な言い回しだよな、って思います。
では、どうすりゃいいんだってことですが、それはわかりません。
それこそ専門家じゃないので。
最後にもうひとついい加減なことを言いますが、原発をめぐる問題って、とても学際的に感じます。ぱっと思いつくだけでも、原子力工学、建築学、法律学、財政学、経済学、政治学、医学…まだまだあります。
この学際的な様相と混迷ぶりって「あの領域」に似ているなってちょっと思いました。