永田町TBRビルを想う

「権力は場所に宿る」
秀和永田町TBRビル(通称TBRビル)は、この言葉がそのまま当てはまる建物です。

TBRビルは、地上11階、地下2階。1965年に旧首相官邸の斜め向かいに完成したオフィスビルです。
このビルの名前とともに思い出すのは「竹下登」「小渕恵三」「梶山静六」「綿貫民輔」といった自民党経世会の大物政治家です。
彼らは、このビルに事務所を構えていました。
そのため、TBRビルには、議員、官僚、陳情に訪れる人の波が絶えなかったといいます。

時として、TBRビルは政局の舞台にもなりました。
もっとも印象的なのは、梶山静六氏と小渕恵三氏が対立した1998年の自民党総裁選です。
自民党が大敗した同年7月の参議院選挙の結果を受けて橋本龍太郎首相が辞任を表明したのを受けて、経世会の流れを汲む平成研(=小渕派)から梶山静六氏と小渕恵三氏が自民総総裁選挙に立候補を表明しました。
両氏は、小渕氏が村山富市首相から橋本龍太郎首相に続く「自社さ」の流れを尊重したのに対して、梶山氏は当時自由党の党首であった小沢一郎氏との連携による「保保連合」を志向するといった違いがありました。
両氏とも出馬を主張して譲らないところに野中広務幹事長が調整に入ったものの、結局交渉は決裂。平成研から2人が総裁選挙に立候補するという異例の事態になりました。
この時、自民党は小渕梶山の2者対決ではなく、他派閥から第三の候補者を立てガチンコの構図になるのを避ける手段に出ました。この判断はいかにも当時の自民党らしいと言われています。
この時担がれたのが、のちに首相になる清和研の小泉純一郎氏でした。
結果は、小渕氏225票、梶山氏102票、小泉氏84票。
さすが最大派閥のオーナーらしく、ダブルスコアで小渕氏が総理総裁の座に就くことになりました。

ところが、小渕氏は2000年4月2日に脳梗塞で倒れます。
これによって小渕内閣も4月5日に総辞職し(本人がこん睡状態にあるとされたため、決定したのは青木幹雄首相臨時代理でした)、いろいろと批判はあったものの、新たに首相に選ばれたのが清和会の森喜朗氏でした。

今にして思えば、この時を境にTBRビルは政治の表舞台からゆっくりと消えていくことになりました。
当時、TBRビルは、金丸信自民党副総裁の事務所があった「パレロワイヤル」、小沢一郎民主党代表が入居していた「十全ビル」とあわせて、「権力のトライアングル」と呼ばれ権勢をきわめていました。
それが、森喜朗氏に続いて2001年に同じ派閥の小泉純一郎氏が首相になり清和会が主流とみなされるようになるとその一角が崩れ構造は激変しました。
政財官の人の流れもTBRビルを離れて、清和会が事務所を置く「グランドプリンスホテル赤坂」に向かうようになりました。

そして2008年、TBRビルに解体の噂が立ちました。
平成研ゆかりの関係者はそれを懸命に否定しましたが、結局建物は2015年半ばに解体されました。
平成研は、ついに伝統的な拠点を失うことになりました。

現在、TBRビルの跡地には「アパホテルプライド赤坂国会議事堂前」が建っています。
アパホテルといえば、アパグループ代表の元谷外志雄氏は安倍元首相に近かったといわれています。安部氏は清和会でした。
こうしてみると、経世会から平成研に受け継がれた権力の牙城「TBRビル」は、ついに清和会の手中に落ちたようにも見えます。

「権力は場所に宿る」ことを、改めて感じる顛末です。
今日のホテルは、この「アパホテルプライド赤坂国会議事堂前」です。

※参考
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%80%E5%92%8C%E6%B0%B8%E7%94%B0%E7%94%BATBR%E3%83%93%E3%83%AB
月刊旧建築
https://trystero.exblog.jp/8893295/

テキストのコピーはできません。