I look forward to your continued good will in the coming year.
JAN.2024
maejimahiroshi
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JAN.2024
maejimahiroshi
ニュース記事を読んでいて「あれれ」と思うことがあります。
なぜそう感じるのか考えてみました。
どうやら、それには共通した理由があるようです。
まず、その記事が事実かどうかわからない。
次に、背景が説明されていないか十分ではない。
そして、記事に「角度」がついている、の3つです。
まず、事実かどうかわからない記事をよく見かけます。
何年か前に「エビデンス?ねーよそんなもの」が話題になりましたよね。
エビデンスは、根拠、証拠、裏付けを意味する英語です。
私は、なにがなんでもエビデンスが無ければいけない、とは思っていません。
証拠や根拠はないんだけど、なんとなく気持ち悪いといった感情も大切だと思うからです。
でも、多くの人に読まれる(ことを想定している)記事は、書かれていることを事実として信じるに足りる「なにか」を示した方がいいと思います。
少なくとも、私はそれで納得することができます。
次に、背景の説明が十分でない記事についてです。
読者が神羅万象に通じている神様であれば、並べられた事実を見るだけで時を移さず理解することが可能でしょう。
しかし、ほとんどの読者は神様ではありません。
少なくとも、記事を読もうとしている時点である程度その内容に関心があると想像できます。
しかし、いやだからこそ、もう一歩理解を深める説明がほしいと思います。
読み手が深く考えることができる記事にしてほしいからです。
ただし、いくら説明しているからといって極端な思い込みや陰謀論を見せられると、私は急に萎えてしまいます。
ここまでの2つをまとめると、たとえば次のようになります。
●●という事件があった(事実)。
●●を規制するのは○○法で、そこには○○と規定されている。
しかし、犯人は●●した。これは○○に違反している。
警察によれば、犯人が犯行に及んだ背景は△△だという(説明)。
今後の展開としては、A、B、あるいはC、云々…(補足)。
さて、最後は記事の「角度」についてです。
「角度」というのは、その事実をどのように捉えているのか、という意味です。
「角度のついた記事」は政治関係でよく見かけますよね。
その「角度」を付けすぎると、いわゆる「振り切った記事」になります。
一部地方紙の「振り切った記事」がインターネットで話題になったこともありますよね。これについては例を挙げるまでもないでしょう。
ニュース記事から「角度」を除くのは難しいと思います。
なぜなら、記事自体が書き手の主観そのものだからです。
例を挙げます。
午前3時に犬を散歩させている人がいたとします。
この記事を書く人が「こんな夜遅くに犬を散歩させるのはあり得ない。最近、この街も不用心になったから、犬の散歩にかこつけて悪いことを企んでいるのかもしれない」と、これはいささか極端なたとえですがそう思い込んでいたとしたら、記事は次のようになるかもしれません。
「なんと、午前3時に犬を散歩させている人がいた」
自分で例示しておいてなんですが、ひでーな、これは。
あるいは、ここまであからさまでなくても、
「午前3時に犬を散歩させている男がいた」
とかには、なりそうです。
”なんと”で強調するのは記事として論外ですが、人を”男”に変えるだけで悪だくみのニュアンスが含まれるように感じるのは、私だけでしょうか。
なにが言いたいのかというと、書き手がどの角度から事実に光を当てるか、またどう切り取るかで、記事を読む私たちに与える印象がまったく違ってくるということです。
もちろん記事はこんな一行だけではなくて、数行、数十行にも渡ります。それをどういう構成で書くのか、両論併記の場合はどちらの意見を先に書くのか、それぞれの比率をどうするのかといったことも加わって、それら全体が「角度」を感じさせられるものになります。
どのような記事にも書き手がいます。
すべての記事は書き手の主観で書かれています。
だから、事実の捉え方も、説明の多寡も、角度も、すべて主観の呪縛を逃れることはできません。
それでも、可能な限り事実を、必要にして十分な説明とともに、角度をつけずに記事にしてほしいと思います。そのような記事が読みたいです。
え、お前のブログはどうなんだ?
これは、私が自分自身に向けて書いている備忘録だからいいんです。
事実でなく思い込みを、説明ではなく思い込みを、角度でなく思い込みを書いていいって、思っています。
てことで、こいつは笑って許してやってください。でわでわ。
感染症の流行で止まっていた社会活動、とりわけ多くの人が集まるイベントや相手先を訪問して面談する機会が急に増えてきたように感じます。
いや、硬い書き出しですね。さっきまで仕事していたんです。すみません。
ところで。
お客さんとしてどこかの施設や事業所にお呼ばれすると、腰を下ろしてしばらく経った頃にお茶が出されます。
いつも出されるわけではありません。出してくれないこともあります。その時は「呼び出しといてこの扱いかよ、ちっ」とか思うわけです。顔には極力出さないようにしていますが、出てたらすみません。
兎も角。
このお茶、必要かと問われたら個人的にはまったく必要ありません。
それは、わたくし好きな飲みものは持参する主義だからです。
もしわたくしのために飲み物を用意してくれるなら、まず「水」、次に「炭酸水」、3、4が無くて、5番目にぎりぎり「コーヒー」でしょうか。基本、この3つしか飲みたくありません。
さらにいえば、「水」といってもなんでもいいわけではありません。硬度70mg/L以下の軟水に限ります。「炭酸水」はウイルキンソン一択です。
こういう狭量なヤツなので、いつも飲み物は自前です。
わたくしほど極端でなくても、飲み物の好みはけっこう分かれるものです。
短時間の打ち合わせなのにコーヒーが出された、あるいは、糖質制限中なのにオレンジジュースが出てきたなど、微妙な気持ちになることが少なくありません。
その点は、お茶が無難です。好みによって飲む飲まないがはっきり分かれるものでもなく、水のような”無料サービス感”も無く、コーヒーのように”お残し厳禁”な気合いも漂っていません。ってコーヒーは二郎系かよ。
私も上ではああ言いましたが、お茶は出されればいただきます。
この、飲みたければ飲み、飲みたくなければ口を付けなくても許されそうな柔軟さがお茶のよさでしょう。
ところで、どうしてお茶を出すのでしょう。
わたくしが考えるに、それは「間」を持たせることができるからじゃないかと思います。
面談や打ち合わせをしていると、こちらが質問したことに相手がなにも答えないといったことがしばしば起こります。
こういう場合、こちら側が取れる対応は大きく2つです。
ひとつは、話題を変える。もうひとつは相手が答えるのを待つ。
この2つを場合によって使い分けます。
面談で、今ここで話しを詰めてしまいたい場合など、話題を逸らしたくないときがあります。
こういうときは、黙って相手が口を開くのを待つしかないわけですが、その無言の時間がなかなかにつらいです。おそらく、たとえ1分間といえどもじっと待つのは耐え難いしょう。時間が進まなくてじれったい気持ちになったりします。そんなときには、往々にしてこちらから余計なことを言って別の話に逸れさせてしまったりすることも起こりえます。
この時、お茶があると「間」を持たせることができます。
面談で相手が沈黙したら、10秒ほどそのまま待ちます。顔色を見ていて、答えないな、と感じたら、あなたはやおらテーブルの湯飲みに手を伸ばします。そして、受け皿から湯飲みを持ち上げてゆっくりと口に運びます。ひと口、お茶を口の中で転がすようにして味わい、それが舌の上を滑って喉の奥に消えたら、もうひと口。もういちど相手の顔に視線をやると、まだ黙っています。
そこでゆっくりと顔を横に向けて窓の外を見ると、色づいた街路樹が風に揺れています。ああ、季節も深まってきたなあ。さて、返事はまだかな。
これで1分ぐらいは余裕でかせげます。
そのうち、相手が考えていることをぼそっと口にしたりします。
これが案外本音だったりするので、侮れません。
相手も「間」が持たないときは、同じようにお茶を飲んだりしますから、行って来いで都合2分間です。この2分間は、表面的には意味があるのか無いのかわかりません。だけど、話しを深めるのに必要な「間」です。これをこうして作ることができます。
これがお茶の効用じゃないでしょうか。
そんなこんなで、お茶はあったらあったでいいものだな、と思うわけです。
最初に書いたことと真逆の結末ですみません。
小耳にはさんだお話のメモです。出処(どころ)はわかりません。
妊娠中、電車に乗ったら40代半ばのスーツを着た男性が席を譲ってくれた。
お礼を言って座るときその男性の襟元を観ると、見たことがある社章がついていた。
夫と同じ会社の人らしい。
その日、帰宅した夫にそのことを話すと、どんな感じの人だった?と聞かれた。
風貌を話すと、隣の課の課長さんではないかという。
あくる日、夫が会社でその課長さんに尋ねると、やっぱりその人だった。
それ以来、その課長さんは折に触れて「奥さんの調子はどう?」などと話しかけてくれるようになったという。
何か月か経って、私は無事女の子を出産した。
夫はその課長さんにも出産の報告をしたらしい。
「課長さんは笑顔で”おめでとう”と言ってくれたよ」と言っていた。
退院して家に戻ってから、私はその課長さんにお礼の手紙を書いた。
手紙にはベッドで眠っている子どもの写真を同封した。
「その節はお世話になりました。この子はあのときの子です」
その手紙が届いた日、課長さんの家は修羅場になった。
ここだけのハナシですが、わたくし、本当にあがり症です。
おおぜいの人を前にして話そうとしたら、「かーっ」となってなにがなんだかわからなくなります(語彙が貧困)。
今日は、わたしのあがり症対策を書いてみます。
もし、同じように悩んでいる人がいたらご参考にしていただけるかもしれません。
以前、わたくしが極度のあがり症であることを知り合いに話したら「いやいや、そんなことはないでしょう。灘尾ホールでもしゃべっているんだから」と言われました。灘尾ホールというのは、「社会福祉業界の武道館」と呼ばれたり呼ばれなかったりするホールです。社会福祉業界には全国社会福祉協議会という業界の総本山みたいな団体があって、ここが虎ノ門駅徒歩3分の新霞が関ビル(なんと自社ビルです)に「灘尾ホール」っていうのを持っています。確かにわたくし、そのホールでお話させていただいたことがあります。知り合いが言ったのは、そこで大勢の人前でしゃべった経験があるんだから、あがることなんてないでしょうという意味です。
いや、あがりますって。あがり症なんだから。もうあげあげ。
それでもあがろうがさがろうが、内容によっては2時間ぐらいしゃべらないといけないので準備をします。具体的には完全台本の作成とこれの通し稽古です。
台本はしゃべることをそのまま書いたものを作ります。台本には前振りから全部書きます。
そして、最初から最後まで何度も通し稽古をします。
いざ本番では、稽古した通りにこれを読むだけです。
たとえば、
例1 え~、ただいまご紹介いただきました。マエジマです。あ、後ろの方、聞こえてますか、聞こえてますか(客席後ろに視線をやりながら、左手を挙げ挙手を求めるそぶり)。はい、大丈夫そうですね。ありがとうございます。え~、それでは、ただいまから「講義」ということで、私からお話をさせていだだきます。私のレジュメは資料集の35ページからです。はい、それではよろしくお願いします。今回のテーマは次の3つです。ひとつめは…
あるいは、
例2 え~、みなさまお戻りでしょうか(会場を見回す)。(ひと息ついて)午後イチ番の講義ということで、これはもう厳しい時間ですよね。これまでの経験では、だいたい3割の方が意識を無くされます。でもみなさん、実はいまからするお話が、今回の研修で一番、ポイント、要(かなめ)、重要です。どうかお気を確かに、しっかりと持っていただいて…
こんな具合です。これらは実際に使った台本から書き写しました。
例1で、その時のテーマを話す前に、講義に関係ありそうなエピソードを盛り込む場合もあります。
灘尾ホールに限らず(ていうか、このホールで話す機会はそんなにありません。人前で話す時は、ってことです)、毎回こんな感じで台本を作り、通し稽古をして臨んでいます。
ということなので、わたくしの場合、講義の出来はほぼ台本の完成度(でき)に依存します。
そこで重要なのはいかによい台本(使える台本)を作るかです。
台本を作る時、気をつけているのは次のことです。
(1)書き言葉ではなく、そこにいる友人・知人に話しかけるような文体で書きます。
(2)言葉のヒゲ(え~、あ~など)をあえて書きます。これでリズムをとります。
(3)間を取る時は、動作をト書きで書き入れます。これもリズムをとるためです。
(4)逆にいえば、しゃべる時は台本に無いヒゲや間は入れないよう徹底します。
(5)最初にテーマを話します。テーマは3つまでにします。
(6)長い講義の場合は、15分から20分ぐらいを目途に話題を変えます。テーマもそのたびに3つ出します。
(7)特に重要なところは、カギカッコ付きのように強調します。繰り返すこともあります。
(8)関心を持ってもらいたい箇所は、質問→答え(どうすればよいでしょうか。それは…のごとく)にします。
(9)最後に「まとめ」としてポイントを挙げます。これは思い切って絞り込みます。
(10)この台本を、テンション2倍で読み上げます。
こう書いてみると簡単で誰にでもできそうです。いや、実際にたいしたことないんです。
問題は分量です。
日本語で聞きやすい速さは1分間300文字前後と言われています。たとえば、NHKのアナウンサーがニュースを読んでいる時がこの速さです。
わたくしのような素人が人前でしゃべる場合は、緊張していてこれよりも早くなりがちです。でも、訓練されていない人が1.5倍速でしゃべると言葉が不明瞭になって聞き取りづらいと思います。無理なく聞いていただこうとすれば、速さはせいぜいNHKの1割か2割増しぐらいまではないでしょうか。
仮に2割増しでお話するとすれば、毎分360文字。1時間だと21,600文字です。2時間では43,200文字になります。
新書一冊は8万字~10万字、文庫本は10万字~12万字と言われていますので、2時間分の台本は新書半分ぐらいにあたります。
改めて計算するとけっこうな分量ですね。
ですが、わたくしはこれが無いとしゃべれません。だから毎回用意しています。
この用意が大変なんです。台本を作るのは講義時間の何倍もかかります。
しかも通し稽古をします。通し稽古も、本番と同じかそれ以上に時間がかかります。
そうして台本をだいたい覚えておいて当日を迎えます。
当日は演台の上に台本を置いて、お守りがわりにします。
実際には、ほとんど見ることはありません。
わたくしは、これまであがり症を克服しようと、いろんなことをしてきました。
手のひらに「人」と書いて飲み込みました(人を飲むというダジャレです)。
聴衆をカボチャだと思え、という助言をそのまま実行しました。
その他、深呼吸しろだとか、瞑想しろとか、成功した場面を思い浮かべろとか、どれもぜんぜんダメでした。
手のひらに「人」と書いてステージに上がりました。しかし、演壇に着いたとたん頭の中が真っ白になって、書いたこと自体を忘れてしまいました。気づいたのは講義を終えてステージから降りた後でした。
聴衆をカボチャに見たてようと思いましたが、カボチャがみんなこちらを向いて口々にいろんなことを言っているように感じて、却って緊張が高まりました。
また、深呼吸は過呼吸に、瞑想は絶句に、成功した場面は悪いイメージの想起にしかつながらず、効果があるどころか反作用ばかり現れました。
唯一効果を感じたのが完全台本を作って臨むことでした。
それで、これを続けている(続けざるを得ない)わけです。
個人的には「出来る限りの準備に勝るあがり対策なし」だと思っています。
大事な舞台を前に心配が膨らんでいるみなさん、わたくしもいっしょです。
台本を作るこの方法は、手間はかかりますがとにかく安心です。なにしろ、もしステージの上で頭の中が真っ白になっても、そこに書いてある文字を読むだけでなんとかなるからです。
この対策が、なにかの参考になれば幸いです。がんばりましょう。
原発界隈が騒がしいです。中国が福島原発の処理水を「汚染水」と呼んで、海洋放出に猛反発しているのが原因です。おかげで、インターネットを含むメディアでは賛否両論、侃々諤々の議論が起こっています。
このことをマスコミが頻繁に取り上げているからだと思いますが、非常勤で授業を受け持っている大学の学生さんから「先生は原発について賛成ですか反対ですか」と尋ねられました。
普段なら「専門家じゃないのに責任持って答えられないよ」とか言うところですが、その日は後の予定もなく時間があったので、私がニュースを見ていて感じることを率直に話しました。
以下の箇条書きは、それを思い出しながら書きとめたものです。
・原発に賛成か反対か、それは「時間軸」と合わせて考える必要があると思う。
・大前提として”原発は手に負えない”。私はそういう印象を持っている。ただし、私は専門家ではないのでこれはあくまで印象に過ぎない。この印象は、東日本大震災の時、原発事故のニュースをリアルタイムで見ていて感じたことが根っこにある。
・しかし、私たちの生活はすでに原発があることを前提に成り立っている。
・すなわち、いまこの時点で原発を止めるということは、原発によって安い値段で実現できているこの便利な生活をただちに捨てることになる。このことを理解しなければならない(原発が、本当に安くつくかどうかは別の問題である)。
・ある人はそれでも原発を止めるべきというだろうが、私の考えでは、ほとんどの人はノーだと思う。
・それならどうするか。時間をかけて、原発を止めることと同時に、それでも便利な生活がなるべく維持できるよう、社会全体を変えていくことを考えなければならないのではないか。
・おそらくこれは価値観の変化を伴うので、私たちが払う時間的、社会的コストは非常に大きなものになるだろう。
そんなことを言って学生さんがなにか言ってくるかと身構えましたが、そんなこともなく「そうなんですね」と言われただけでした。学生さんにしてみれば、最初に「専門家ではない」と断った時点で、もうどうでもいい話に思えたんじゃないでしょうか。
それにして、これって「わかりません」の非常勤講師的な言い回しだよな、って思います。
では、どうすりゃいいんだってことですが、それはわかりません。
それこそ専門家じゃないので。
最後にもうひとついい加減なことを言いますが、原発をめぐる問題って、とても学際的に感じます。ぱっと思いつくだけでも、原子力工学、建築学、法律学、財政学、経済学、政治学、医学…まだまだあります。
この学際的な様相と混迷ぶりって「あの領域」に似ているなってちょっと思いました。
台風一過。今朝は、雲が無いわけではありませんが涼しくて気持ちいい朝でした。
ニュースを見ると、昨日に近畿地方を縦断した台風7号は、橋を押し流したり土砂災害を起こしたりと多くの爪痕を残していきました。被害にあわれた方に心よりお見舞いを申し上げます。
一方、私のまわりでは、言うほどの被害も社会的影響も見られませんでした。これはひとつには、交通機関の「計画運休」が社会の仕組みとして一般化したことが大きいように感じます。
計画運休は、昭和半ばから新幹線や長距離列車で行われていました。これが、はじめて大都市近郊区で行われたのは2014年の台風19号の時だと言われています。
この時は「あらかじめ予定が立てられるのでよかった」「いや動かせる限り動かすべきだ」などと議論百出だったようです。
計画運休はその後も年2回ほど行われてきて、今では一定の社会的承認(容認かもしれない)が得られるようになっています。それは、都市部では同じ目的地へ向かうのに複数の経路があること、仮に公共交通機関が全て止まっても、クルマでなんとかなるということも理由かもしれません。
おそらくそれより大きいのは、計画運休に合わせてコンビニや飲食店などがあらかじめ休むようになったことだと思います。これで物流も動かなくて済みます。人流と物流が止まると、社会全体が休止モードになって、結果的に台風の被害を受けにくくなるし、社会的影響も少なくできているんじゃないかなと思います。
台風の時は、よほどのことが無い限り家でじっとしているのが一番ですよ。
ところが。そんな中「毎日がよほどのこと」のエッセンシャルワーカーはなんとかして仕事にいくわけですよ。
これは専門職としての使命感もありますが、あえて聞けばたいがいの人が「そういう仕事だから」と答えるはずです。身内贔屓でややおおげさに言い換えれば、これは「そういう生き方を選んだんだから」という気持ちです。
なので「計画運休」と聞くと、ぶっちゃけ前の晩からアドレナリン多めになっている人が多いです。
出勤状況を調整している現場ではアドレナリンが出ている人同士が相談しているので「誰それの通勤ルートは電車が止まっているが、それでもこう迂回すればなんとかなる」「それじゃ来れる駅までみんな来てもらって、何人か揃ったら迎えのクルマを出そう」なんてやってます。
ちょっと待て。判断材料は交通機関の状況だけじゃない。雨や風の状態はどうした。
放っておけば議論は出勤できるできないに終始して、誰からも積極的に休ませる話は出てきません。もうイケイケです。
専門職として現場を預かっていていつも思うのは、職員一人ひとりが、クライエントにとってもチームにとっても、かけがえのないオンリーワンだってことです。それは、家族同士の関係に近いかもしれません。誰かが誰かに代わることなんてできない関係です。
社会福祉施設は、そんな大切な人たちをご家族からお預かりして、職場に迎えているんです。この人たちとクライエントの個別的関係性が、現場における支援の基盤だし、チームの力の源泉です。
だから、職員がアドレナリン全開で出勤しようとするのを聞くと「自分もそうだったし大変頼もしいけど、くれぐれも無理はしないでくれよ」と言います。そして、気持ちは尊重するが、絶対無理させちゃいけないと改めて心に定めます。
でも、正直そういう現場で行われているイケイケの話しに入って、いっしょに盛り上がりたいと思ってしまうところ、私はまだまだです。むしろ私をフォローしてくれている「次長級」の方が冷静沈着です。もちろん、私も自重はしてますけどね。
今日、8月15日は「終戦記念日」です。メディアは、前の戦争についてさまざまな形で取り上げているでしょう。
※このエントリは事前に書いています。
もしかするとみなさんご存知かもですが、1945年8月15日を「第二次世界大戦が”終戦”した日」としているのは、戦争当事国では日本だけです。
8月15日は、玉音放送で有名な「大東亜戦争終結ノ詔書」がラジオで流れた日です。
玉音放送をめぐっては、陸軍青年将校がポツダム宣言の受諾に反対してクーデターを起こそうとし、これに同調した部隊が皇居やNHKの一部を占拠した、いわゆる宮城事件など書きたくなることも多いのですが、長くなるので今日は止めておきます。
お話を戻して、第二次世界大戦の正式な終結日は1945年9月2日です。これは日本の全権大使が天皇陛下の命により戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に署名した日です。
アメリカは、この日、トルーマン大統領が第二次世界大戦を勝利で終えたと、国民に宣言しています。アメリカの「対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)」はこれによって9月2日です。
ところが、すべての戦争当事国が第二次世界大戦の終戦日を9月2日としているかといえば、そうではありません。
ロシアは、9月2日ですが、これに至るまでは紆余曲折がありました。
1945年、旧ソ連が戦勝記念式典を行ったのは9月3日でした。これは降伏文書に署名した翌日です。旧ソ連では、当時この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日と定めました。
1日ずれているのは、どういうわけか旧ソ連が9月2日にまだ対日戦争中だったからです。スターリン率いる旧ソ連は、戦争末期の1945年4月5日、モロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約を延長せず「廃棄」することを通告、次いで1945年8月8日、突然日本に宣戦布告しました。そしてミズーリ号の甲板で日本が英米中蘇の代表を前にして降伏文書に署名していた9月2日に、なんと旧ソ連軍は千島列島の歯舞群島への攻略作戦を始めました。旧ソ連がこの作戦によって千島列島全島を占領したのは3日後の9月5日でした。上に書いたように、9月2日はまだ戦いの最中だったのです。しかし一方で、旧ソ連も連合国の一員としてミズーリ号で降伏文書の調印式に出席していました。その手前、終戦について知らんぷりもできず、9月3日に戦勝記念式典を行って体裁を整えたのでした。旧ソ連では、この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日に定めました。
ところが、その旧ソ連は1991年に崩壊します。その政権を受け継いだロシア連邦共和国議会は、2010年7月に9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決しました。これによってロシア(連邦共和国)の戦争終結日はアメリカと同じ9月2日に変わり、今に至っています。
中国は9月3日ですが、事情はさらに複雑です。
当時、中国は第二次世界大戦に参戦しながら、国内も内戦状態で蒋介石率いる国民党軍と毛沢東の共産党軍が衝突していました。日本軍は、正式には帝国陸軍支那派遣軍が国民党軍と戦っていましたが、これとは別に、北部の華北地方では満州国に駐屯する関東軍が共産党軍と戦っていました。
事態が急変するのは、1945年です。戦局が悪化し帝国陸軍支那派遣軍が国民党政府に降伏しました。ところが、この年、旧ソ連軍が満州との国境を破って南下、共産党軍に加勢します。関東軍もこれに敗れて降伏しました。
戦争に負けて軍隊が投降すると、勝った側は武装解除を行います。帝国陸軍支那派遣軍の武装解除を行ったのは当然国民党軍でした。一方で、関東軍は旧ソ連軍に投降しましたが、武装解除を行ったのは共産党軍でした。ソ連軍が投降した関東軍兵士を共産党軍に引き渡したからです。
ともあれ、中国大陸で戦っていた日本軍は、国民党軍と共産党軍の2つから武装解除を受けたことになります。ここで問題は、中華人民共和国の成立が1948年だということです。つまり、国民党軍によって武装解除された帝国陸軍支那派遣軍とは異なり、まだ国家が成立していなかった共産党軍と関東軍は明確な形で降伏文書が交わせない状態だったのです。
結局、中国が正式に戦後処理に取り組んだのは、共産党が政権を取り国内が安定してきた1956年でした。中国が9月3日を「対日戦勝利記念日」と正式に定めたのは、さらに下って2014年です。
では、8月15日はなんの日なのでしょうか。
事実だけを言えば、連合国側が日本の戦争後の日本のあり方を定めた「ポツダム宣言」を受け入れたのは、8月14日です。これは同日全世界に公表されていました。
アメリカでは、8月14日に日本が降伏すると報道されました。当時の報道によれば、トルーマン大統領は14日にポツダム宣言の内容をアメリカ国民に説明した上で日本がそれを受け入れたといい、「対日戦勝記念日」は9月2日に予定されている降伏文書への調印を見届けた上で布告するとしています。
それを受けて、8月15日に、天皇陛下がポツダム宣言を受け入れたこと、戦争を休止することを国民全員にラジオを通じて直接語り掛けます。それが「玉音放送」、正式には「大東亜戦争終結ノ詔書」です。
そのように考えれば、8月15日は手続き上の終戦日ではありませんが、もっと重要な日、つまり、わが国が永く世界平和を実現しようと決意した、「永久に戦争を終えた日=終戦の日」と言えるのかもしれません。
そんなことを考えて、この機会に玉音放送でなにが語られたのかを詳しく知りたいと思いました。
しかし、この放送の文字起こしを読んでも、私には難解過ぎてイマイチあたまに入ってきませんでした。
どうしたものかとインターネットを検索していたら、BuzzFeed Japan編集部が、自社サイトに現代語訳を掲載されているのを見つけました。一読、すごくいい現代語訳だったので、リンクを貼ってオリジナルサイトにジャンプできるようにしようと思いました。
しかし、今後、万一リンク切れしてしまったらあまりに惜しいので、念のため以下に引用させていただきました。オリジナルサイトへのリンクは文末に載せています。
私は、これは祈りだと思います。みなさんはいかがでしょうか。ぜひご覧ください。
「終戦の詔書」の現代語訳(BuzzFeed Japan編集部)
私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます。
アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました。
そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません。
しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。このように各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています。
これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました。その惨害はどこまで広がるか計り知れません。戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう。そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。
私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。
思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう。私は国民の心中もよくわかります。しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います。
私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、それは、私が最も戒めるところです。
挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。
あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。
監修 麗澤大学 川上和久教授
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根拠なく言い切ります。夏は「祇園祭」にはじまり「五山送り火」で終わります。
その、わたくし(マエジマ)に夏の終わりを告げる「京都五山送り火」が、いよいよ今週水曜日(送り盆・8月16日)に迫ってまいりました。
五山送り火は、お盆でこの世に帰って来られていた死者の霊(「おしょらい(精霊)さん」といいます)をあの世にお送りする儀式です。
毎年16日夜20時頃に、東山(大)に火が点ります。そこから、松ヶ崎(妙・法)、西賀茂(船形)、大北山(左大文字)、嵯峨(鳥居形)まで20分ほどかけて順に点っていきます。火が点っているのは、それぞれ30分間ほどです。
この大変有名な「京都五山送り火」のことを「大文字焼き」と言うと怒る人がいます。
「節子、それ大文字焼きちゃう、送り火や」という訳です。そこのあなた。いまなにかに怒りましたね。
それはともかく、京都が好きな人、それも京都出身でない人ほど「大文字焼き」呼ばわりに拒否反応を見せるような気がします(個人の感想です)。
ところが。「五山送り火」という呼び方は明治になってから出てきたものらしいです。それまでは「大文字焼き」と呼ばれていました。江戸時代に「大文字焼き」と呼んでいた記録があるそうです。
つまり、時系列で並べると「大文字焼き」が先で「送り火」が後、ということです。
X(旧Twitter)に、”8月に入りまして「五山の送り火」の呼び方でドヤ顔するおっさんが出没する季節になってまいりました。”というつぶやきもあるそうですし、いろいろなところで引用されている入江敦彦さんの書籍『京都人だけが知っている』にも「大文字焼き」と書かれているそうです。実はこの本、原著を探しましたが身近にありませんでした。ともあれ京都西陣生まれ「生粋の京都人」の入江さんに言われてしまえば、もう勝負は決まった感じがします。
私は、五山送り火のことを、これからは「大文字焼き」と呼ぶことにします。
こういうのを大阪では「焼き入れたらんかい」といいます(ウソ)。
ところで、前日15日のお昼ごろ台風7号が近畿地方を縦断するらしいです。
「大文字焼き」の準備にも影響が出ると思われます。
関係するみなさん、予定どおり行われてもそうでなくてもご安全に。
探し物をして机の引き出しをひっくり返していたら、電卓が出てきました。
HP-12Cという、米国ヒューレット・パッカード社の金融電卓です。
この電卓の発売は、1981年です。
にも関わらず、今なおビジネスの第一線で見かけることがあります。
ご承知のとおり電子機器の寿命は短くて、ものによっては毎年新製品が登場します。
その中で、HP-12Cは40年以上経った今も現役で使われ続けています。まさに「生ける伝説」と呼べる製品です。
先日もネットフリックスで金融ものの現代映画を見ていたら、脇役の金融ブローカーのデスクにその姿がありました。
HP-12Cは愛用者が多く、みなさんがそれぞれの「推し」のポイントを語られています。
私にとっては、他の電卓に類のないクリック感のあるキーと、逆ポーランド方式の入力方法がそれです。金融電卓としての機能は、よくわかりません。統計計算に使うぐらいです。
さて、久しぶりに使おうと電源ボタンを押したら、電池切れです。電源が入りません。
ボタン電池の手持ちがなかったので、CR2032を2つ買ってきて入れました。これで復活しました。
余談ですが、ボタン電池を電気屋さんで買うと超高いです。ヤバダ電気(匿)に行ったら、2個入りが500円以上しました。
私は身体中に貧乏が染みついているのでそこでは買えず、帰りに立ち寄った100均ショップで買いました。私が買ったパッケージには100円で2つ入っていました。このパッケージは国内有名ブランドでインドネシア製でした。この100均のショップブランドのものも隣に置かれていて、そちらは中国製で3個入りが同じ値段でした。
電池1個の値段が約8倍も違うのはなぜでしょう。私の知らない「闇」でしょうか。
電源を入れると、少し複雑な計算をさせてみたくなります。
そうすると、取扱説明書が必要です。
取説、どこにしまったかな。ちょっと探しましたが見当たりません。
ヒューレット・パッカードのサイトで探しますが、やはりありません。
いろいろ検索していると、ヒューレット・パッカードのサイト自体がいくつあって、検索上位に上がってこない別サイトに取扱説明書のPDFデータがあることがわかりました。
※Thanks けろたん
さっそくそのデータを落として、いつでも参照できるようにGoogleDriveに保存しました。
だれかの参考になるかもしれませんので、下にそのURLを貼っておきます。
※メーカーの都合でリンクが切れていたらごめんなさい。
HP-12C 操作ハンドブック+各種金利関係計算例
(横川・ヒューレット・パッカード株式会社公式)
HP-12cについてのこもごもは、また書きます。
ニーズは無いと思いますけど。