ほのぼのするお話。

小耳にはさんだお話のメモです。出処(どころ)はわかりません。

妊娠中、電車に乗ったら40代半ばのスーツを着た男性が席を譲ってくれた。
お礼を言って座るときその男性の襟元を観ると、見たことがある社章がついていた。
夫と同じ会社の人らしい。

その日、帰宅した夫にそのことを話すと、どんな感じの人だった?と聞かれた。
風貌を話すと、隣の課の課長さんではないかという。

あくる日、夫が会社でその課長さんに尋ねると、やっぱりその人だった。
それ以来、その課長さんは折に触れて「奥さんの調子はどう?」などと話しかけてくれるようになったという。

何か月か経って、私は無事女の子を出産した。
夫はその課長さんにも出産の報告をしたらしい。
「課長さんは笑顔で”おめでとう”と言ってくれたよ」と言っていた。
退院して家に戻ってから、私はその課長さんにお礼の手紙を書いた。
手紙にはベッドで眠っている子どもの写真を同封した。

「その節はお世話になりました。この子はあのときの子です」

その手紙が届いた日、課長さんの家は修羅場になった。

あがり症と完全台本とわたくし。

ここだけのハナシですが、わたくし、本当にあがり症です。
おおぜいの人を前にして話そうとしたら、「かーっ」となってなにがなんだかわからなくなります(語彙が貧困)。

今日は、わたしのあがり症対策を書いてみます。
もし、同じように悩んでいる人がいたらご参考にしていただけるかもしれません。

以前、わたくしが極度のあがり症であることを知り合いに話したら「いやいや、そんなことはないでしょう。灘尾ホールでもしゃべっているんだから」と言われました。灘尾ホールというのは、「社会福祉業界の武道館」と呼ばれたり呼ばれなかったりするホールです。社会福祉業界には全国社会福祉協議会という業界の総本山みたいな団体があって、ここが虎ノ門駅徒歩3分の新霞が関ビル(なんと自社ビルです)に「灘尾ホール」っていうのを持っています。確かにわたくし、そのホールでお話させていただいたことがあります。知り合いが言ったのは、そこで大勢の人前でしゃべった経験があるんだから、あがることなんてないでしょうという意味です。
いや、あがりますって。あがり症なんだから。もうあげあげ。
それでもあがろうがさがろうが、内容によっては2時間ぐらいしゃべらないといけないので準備をします。具体的には完全台本の作成とこれの通し稽古です。
台本はしゃべることをそのまま書いたものを作ります。台本には前振りから全部書きます。
そして、最初から最後まで何度も通し稽古をします。
いざ本番では、稽古した通りにこれを読むだけです。

たとえば、

例1 え~、ただいまご紹介いただきました。マエジマです。あ、後ろの方、聞こえてますか、聞こえてますか(客席後ろに視線をやりながら、左手を挙げ挙手を求めるそぶり)。はい、大丈夫そうですね。ありがとうございます。え~、それでは、ただいまから「講義」ということで、私からお話をさせていだだきます。私のレジュメは資料集の35ページからです。はい、それではよろしくお願いします。今回のテーマは次の3つです。ひとつめは…

あるいは、

例2 え~、みなさまお戻りでしょうか(会場を見回す)。(ひと息ついて)午後イチ番の講義ということで、これはもう厳しい時間ですよね。これまでの経験では、だいたい3割の方が意識を無くされます。でもみなさん、実はいまからするお話が、今回の研修で一番、ポイント、要(かなめ)、重要です。どうかお気を確かに、しっかりと持っていただいて…

こんな具合です。これらは実際に使った台本から書き写しました。
例1で、その時のテーマを話す前に、講義に関係ありそうなエピソードを盛り込む場合もあります。
灘尾ホールに限らず(ていうか、このホールで話す機会はそんなにありません。人前で話す時は、ってことです)、毎回こんな感じで台本を作り、通し稽古をして臨んでいます。

ということなので、わたくしの場合、講義の出来はほぼ台本の完成度(でき)に依存します。
そこで重要なのはいかによい台本(使える台本)を作るかです。

台本を作る時、気をつけているのは次のことです。

(1)書き言葉ではなく、そこにいる友人・知人に話しかけるような文体で書きます。
(2)言葉のヒゲ(え~、あ~など)をあえて書きます。これでリズムをとります。
(3)間を取る時は、動作をト書きで書き入れます。これもリズムをとるためです。
(4)逆にいえば、しゃべる時は台本に無いヒゲや間は入れないよう徹底します。
(5)最初にテーマを話します。テーマは3つまでにします。
(6)長い講義の場合は、15分から20分ぐらいを目途に話題を変えます。テーマもそのたびに3つ出します。
(7)特に重要なところは、カギカッコ付きのように強調します。繰り返すこともあります。
(8)関心を持ってもらいたい箇所は、質問→答え(どうすればよいでしょうか。それは…のごとく)にします。
(9)最後に「まとめ」としてポイントを挙げます。これは思い切って絞り込みます。
(10)この台本を、テンション2倍で読み上げます。

こう書いてみると簡単で誰にでもできそうです。いや、実際にたいしたことないんです。

問題は分量です。
日本語で聞きやすい速さは1分間300文字前後と言われています。たとえば、NHKのアナウンサーがニュースを読んでいる時がこの速さです。
わたくしのような素人が人前でしゃべる場合は、緊張していてこれよりも早くなりがちです。でも、訓練されていない人が1.5倍速でしゃべると言葉が不明瞭になって聞き取りづらいと思います。無理なく聞いていただこうとすれば、速さはせいぜいNHKの1割か2割増しぐらいまではないでしょうか。
仮に2割増しでお話するとすれば、毎分360文字。1時間だと21,600文字です。2時間では43,200文字になります。
新書一冊は8万字~10万字、文庫本は10万字~12万字と言われていますので、2時間分の台本は新書半分ぐらいにあたります。
改めて計算するとけっこうな分量ですね。
ですが、わたくしはこれが無いとしゃべれません。だから毎回用意しています。
この用意が大変なんです。台本を作るのは講義時間の何倍もかかります。
しかも通し稽古をします。通し稽古も、本番と同じかそれ以上に時間がかかります。
そうして台本をだいたい覚えておいて当日を迎えます。
当日は演台の上に台本を置いて、お守りがわりにします。
実際には、ほとんど見ることはありません。

わたくしは、これまであがり症を克服しようと、いろんなことをしてきました。
手のひらに「人」と書いて飲み込みました(人を飲むというダジャレです)。
聴衆をカボチャだと思え、という助言をそのまま実行しました。
その他、深呼吸しろだとか、瞑想しろとか、成功した場面を思い浮かべろとか、どれもぜんぜんダメでした。
手のひらに「人」と書いてステージに上がりました。しかし、演壇に着いたとたん頭の中が真っ白になって、書いたこと自体を忘れてしまいました。気づいたのは講義を終えてステージから降りた後でした。
聴衆をカボチャに見たてようと思いましたが、カボチャがみんなこちらを向いて口々にいろんなことを言っているように感じて、却って緊張が高まりました。
また、深呼吸は過呼吸に、瞑想は絶句に、成功した場面は悪いイメージの想起にしかつながらず、効果があるどころか反作用ばかり現れました。

唯一効果を感じたのが完全台本を作って臨むことでした。
それで、これを続けている(続けざるを得ない)わけです。

個人的には「出来る限りの準備に勝るあがり対策なし」だと思っています。
大事な舞台を前に心配が膨らんでいるみなさん、わたくしもいっしょです。
台本を作るこの方法は、手間はかかりますがとにかく安心です。なにしろ、もしステージの上で頭の中が真っ白になっても、そこに書いてある文字を読むだけでなんとかなるからです。

この対策が、なにかの参考になれば幸いです。がんばりましょう。

なんとかできればいいけど、それには時間がかかるだろうお話

原発界隈が騒がしいです。中国が福島原発の処理水を「汚染水」と呼んで、海洋放出に猛反発しているのが原因です。おかげで、インターネットを含むメディアでは賛否両論、侃々諤々の議論が起こっています。

このことをマスコミが頻繁に取り上げているからだと思いますが、非常勤で授業を受け持っている大学の学生さんから「先生は原発について賛成ですか反対ですか」と尋ねられました。
普段なら「専門家じゃないのに責任持って答えられないよ」とか言うところですが、その日は後の予定もなく時間があったので、私がニュースを見ていて感じることを率直に話しました。
以下の箇条書きは、それを思い出しながら書きとめたものです。

・原発に賛成か反対か、それは「時間軸」と合わせて考える必要があると思う。
・大前提として”原発は手に負えない”。私はそういう印象を持っている。ただし、私は専門家ではないのでこれはあくまで印象に過ぎない。この印象は、東日本大震災の時、原発事故のニュースをリアルタイムで見ていて感じたことが根っこにある。
・しかし、私たちの生活はすでに原発があることを前提に成り立っている。
・すなわち、いまこの時点で原発を止めるということは、原発によって安い値段で実現できているこの便利な生活をただちに捨てることになる。このことを理解しなければならない(原発が、本当に安くつくかどうかは別の問題である)。
・ある人はそれでも原発を止めるべきというだろうが、私の考えでは、ほとんどの人はノーだと思う。
・それならどうするか。時間をかけて、原発を止めることと同時に、それでも便利な生活がなるべく維持できるよう、社会全体を変えていくことを考えなければならないのではないか。
・おそらくこれは価値観の変化を伴うので、私たちが払う時間的、社会的コストは非常に大きなものになるだろう。

そんなことを言って学生さんがなにか言ってくるかと身構えましたが、そんなこともなく「そうなんですね」と言われただけでした。学生さんにしてみれば、最初に「専門家ではない」と断った時点で、もうどうでもいい話に思えたんじゃないでしょうか。
それにして、これって「わかりません」の非常勤講師的な言い回しだよな、って思います。

では、どうすりゃいいんだってことですが、それはわかりません。
それこそ専門家じゃないので。

最後にもうひとついい加減なことを言いますが、原発をめぐる問題って、とても学際的に感じます。ぱっと思いつくだけでも、原子力工学、建築学、法律学、財政学、経済学、政治学、医学…まだまだあります。
この学際的な様相と混迷ぶりって「あの領域」に似ているなってちょっと思いました。

計画運休とエッセンシャルワーカーと自重する私

台風一過。今朝は、雲が無いわけではありませんが涼しくて気持ちいい朝でした。
ニュースを見ると、昨日に近畿地方を縦断した台風7号は、橋を押し流したり土砂災害を起こしたりと多くの爪痕を残していきました。被害にあわれた方に心よりお見舞いを申し上げます。

一方、私のまわりでは、言うほどの被害も社会的影響も見られませんでした。これはひとつには、交通機関の「計画運休」が社会の仕組みとして一般化したことが大きいように感じます。

計画運休は、昭和半ばから新幹線や長距離列車で行われていました。これが、はじめて大都市近郊区で行われたのは2014年の台風19号の時だと言われています。
この時は「あらかじめ予定が立てられるのでよかった」「いや動かせる限り動かすべきだ」などと議論百出だったようです。
計画運休はその後も年2回ほど行われてきて、今では一定の社会的承認(容認かもしれない)が得られるようになっています。それは、都市部では同じ目的地へ向かうのに複数の経路があること、仮に公共交通機関が全て止まっても、クルマでなんとかなるということも理由かもしれません。

おそらくそれより大きいのは、計画運休に合わせてコンビニや飲食店などがあらかじめ休むようになったことだと思います。これで物流も動かなくて済みます。人流と物流が止まると、社会全体が休止モードになって、結果的に台風の被害を受けにくくなるし、社会的影響も少なくできているんじゃないかなと思います。
台風の時は、よほどのことが無い限り家でじっとしているのが一番ですよ。

ところが。そんな中「毎日がよほどのこと」のエッセンシャルワーカーはなんとかして仕事にいくわけですよ。
これは専門職としての使命感もありますが、あえて聞けばたいがいの人が「そういう仕事だから」と答えるはずです。身内贔屓でややおおげさに言い換えれば、これは「そういう生き方を選んだんだから」という気持ちです。
なので「計画運休」と聞くと、ぶっちゃけ前の晩からアドレナリン多めになっている人が多いです。
出勤状況を調整している現場ではアドレナリンが出ている人同士が相談しているので「誰それの通勤ルートは電車が止まっているが、それでもこう迂回すればなんとかなる」「それじゃ来れる駅までみんな来てもらって、何人か揃ったら迎えのクルマを出そう」なんてやってます。
ちょっと待て。判断材料は交通機関の状況だけじゃない。雨や風の状態はどうした。
放っておけば議論は出勤できるできないに終始して、誰からも積極的に休ませる話は出てきません。もうイケイケです。

専門職として現場を預かっていていつも思うのは、職員一人ひとりが、クライエントにとってもチームにとっても、かけがえのないオンリーワンだってことです。それは、家族同士の関係に近いかもしれません。誰かが誰かに代わることなんてできない関係です。
社会福祉施設は、そんな大切な人たちをご家族からお預かりして、職場に迎えているんです。この人たちとクライエントの個別的関係性が、現場における支援の基盤だし、チームの力の源泉です。
だから、職員がアドレナリン全開で出勤しようとするのを聞くと「自分もそうだったし大変頼もしいけど、くれぐれも無理はしないでくれよ」と言います。そして、気持ちは尊重するが、絶対無理させちゃいけないと改めて心に定めます。

でも、正直そういう現場で行われているイケイケの話しに入って、いっしょに盛り上がりたいと思ってしまうところ、私はまだまだです。むしろ私をフォローしてくれている「次長級」の方が冷静沈着です。もちろん、私も自重はしてますけどね。

「大東亜戦争終結ノ詔書」現代語訳(BuzzFeed Japanより)

今日、8月15日は「終戦記念日」です。メディアは、前の戦争についてさまざまな形で取り上げているでしょう。
※このエントリは事前に書いています。

もしかするとみなさんご存知かもですが、1945年8月15日を「第二次世界大戦が”終戦”した日」としているのは、戦争当事国では日本だけです。
8月15日は、玉音放送で有名な「大東亜戦争終結ノ詔書」がラジオで流れた日です。

玉音放送をめぐっては、陸軍青年将校がポツダム宣言の受諾に反対してクーデターを起こそうとし、これに同調した部隊が皇居やNHKの一部を占拠した、いわゆる宮城事件など書きたくなることも多いのですが、長くなるので今日は止めておきます。

お話を戻して、第二次世界大戦の正式な終結日は1945年9月2日です。これは日本の全権大使が天皇陛下の命により戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に署名した日です。
アメリカは、この日、トルーマン大統領が第二次世界大戦を勝利で終えたと、国民に宣言しています。アメリカの「対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)」はこれによって9月2日です。

ところが、すべての戦争当事国が第二次世界大戦の終戦日を9月2日としているかといえば、そうではありません。

ロシアは、9月2日ですが、これに至るまでは紆余曲折がありました。
1945年、旧ソ連が戦勝記念式典を行ったのは9月3日でした。これは降伏文書に署名した翌日です。旧ソ連では、当時この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日と定めました。
1日ずれているのは、どういうわけか旧ソ連が9月2日にまだ対日戦争中だったからです。スターリン率いる旧ソ連は、戦争末期の1945年4月5日、モロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使に日ソ中立条約を延長せず「廃棄」することを通告、次いで1945年8月8日、突然日本に宣戦布告しました。そしてミズーリ号の甲板で日本が英米中蘇の代表を前にして降伏文書に署名していた9月2日に、なんと旧ソ連軍は千島列島の歯舞群島への攻略作戦を始めました。旧ソ連がこの作戦によって千島列島全島を占領したのは3日後の9月5日でした。上に書いたように、9月2日はまだ戦いの最中だったのです。しかし一方で、旧ソ連も連合国の一員としてミズーリ号で降伏文書の調印式に出席していました。その手前、終戦について知らんぷりもできず、9月3日に戦勝記念式典を行って体裁を整えたのでした。旧ソ連では、この戦勝記念式典が開かれた9月3日を正式な対日戦勝記念日に定めました。
ところが、その旧ソ連は1991年に崩壊します。その政権を受け継いだロシア連邦共和国議会は、2010年7月に9月2日を「第二次世界大戦が終結した日」と制定する法案を可決しました。これによってロシア(連邦共和国)の戦争終結日はアメリカと同じ9月2日に変わり、今に至っています。

中国は9月3日ですが、事情はさらに複雑です。
当時、中国は第二次世界大戦に参戦しながら、国内も内戦状態で蒋介石率いる国民党軍と毛沢東の共産党軍が衝突していました。日本軍は、正式には帝国陸軍支那派遣軍が国民党軍と戦っていましたが、これとは別に、北部の華北地方では満州国に駐屯する関東軍が共産党軍と戦っていました。
事態が急変するのは、1945年です。戦局が悪化し帝国陸軍支那派遣軍が国民党政府に降伏しました。ところが、この年、旧ソ連軍が満州との国境を破って南下、共産党軍に加勢します。関東軍もこれに敗れて降伏しました。
戦争に負けて軍隊が投降すると、勝った側は武装解除を行います。帝国陸軍支那派遣軍の武装解除を行ったのは当然国民党軍でした。一方で、関東軍は旧ソ連軍に投降しましたが、武装解除を行ったのは共産党軍でした。ソ連軍が投降した関東軍兵士を共産党軍に引き渡したからです。
ともあれ、中国大陸で戦っていた日本軍は、国民党軍と共産党軍の2つから武装解除を受けたことになります。ここで問題は、中華人民共和国の成立が1948年だということです。つまり、国民党軍によって武装解除された帝国陸軍支那派遣軍とは異なり、まだ国家が成立していなかった共産党軍と関東軍は明確な形で降伏文書が交わせない状態だったのです。
結局、中国が正式に戦後処理に取り組んだのは、共産党が政権を取り国内が安定してきた1956年でした。中国が9月3日を「対日戦勝利記念日」と正式に定めたのは、さらに下って2014年です。

では、8月15日はなんの日なのでしょうか。
事実だけを言えば、連合国側が日本の戦争後の日本のあり方を定めた「ポツダム宣言」を受け入れたのは、8月14日です。これは同日全世界に公表されていました。
アメリカでは、8月14日に日本が降伏すると報道されました。当時の報道によれば、トルーマン大統領は14日にポツダム宣言の内容をアメリカ国民に説明した上で日本がそれを受け入れたといい、「対日戦勝記念日」は9月2日に予定されている降伏文書への調印を見届けた上で布告するとしています。
それを受けて、8月15日に、天皇陛下がポツダム宣言を受け入れたこと、戦争を休止することを国民全員にラジオを通じて直接語り掛けます。それが「玉音放送」、正式には「大東亜戦争終結ノ詔書」です。

そのように考えれば、8月15日は手続き上の終戦日ではありませんが、もっと重要な日、つまり、わが国が永く世界平和を実現しようと決意した、「永久に戦争を終えた日=終戦の日」と言えるのかもしれません。

そんなことを考えて、この機会に玉音放送でなにが語られたのかを詳しく知りたいと思いました。
しかし、この放送の文字起こしを読んでも、私には難解過ぎてイマイチあたまに入ってきませんでした。

どうしたものかとインターネットを検索していたら、BuzzFeed Japan編集部が、自社サイトに現代語訳を掲載されているのを見つけました。一読、すごくいい現代語訳だったので、リンクを貼ってオリジナルサイトにジャンプできるようにしようと思いました。
しかし、今後、万一リンク切れしてしまったらあまりに惜しいので、念のため以下に引用させていただきました。オリジナルサイトへのリンクは文末に載せています。

私は、これは祈りだと思います。みなさんはいかがでしょうか。ぜひご覧ください。

「終戦の詔書」の現代語訳(BuzzFeed Japan編集部)

私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます。

アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました。

そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません。

しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。このように各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています。

これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました。その惨害はどこまで広がるか計り知れません。戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう。そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。

私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。

思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう。私は国民の心中もよくわかります。しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います。

私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、それは、私が最も戒めるところです。

挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。

監修 麗澤大学 川上和久教授
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/gyokuon-hoso?ref=hpsplash

大文字に焼きを入れるお話

根拠なく言い切ります。夏は「祇園祭」にはじまり「五山送り火」で終わります。
その、わたくし(マエジマ)に夏の終わりを告げる「京都五山送り火」が、いよいよ今週水曜日(送り盆・8月16日)に迫ってまいりました。

五山送り火は、お盆でこの世に帰って来られていた死者の霊(「おしょらい(精霊)さん」といいます)をあの世にお送りする儀式です。
毎年16日夜20時頃に、東山(大)に火が点ります。そこから、松ヶ崎(妙・法)、西賀茂(船形)、大北山(左大文字)、嵯峨(鳥居形)まで20分ほどかけて順に点っていきます。火が点っているのは、それぞれ30分間ほどです。

この大変有名な「京都五山送り火」のことを「大文字焼き」と言うと怒る人がいます。
「節子、それ大文字焼きちゃう、送り火や」という訳です。そこのあなた。いまなにかに怒りましたね。
それはともかく、京都が好きな人、それも京都出身でない人ほど「大文字焼き」呼ばわりに拒否反応を見せるような気がします(個人の感想です)。

ところが。「五山送り火」という呼び方は明治になってから出てきたものらしいです。それまでは「大文字焼き」と呼ばれていました。江戸時代に「大文字焼き」と呼んでいた記録があるそうです。
つまり、時系列で並べると「大文字焼き」が先で「送り火」が後、ということです。
X(旧Twitter)に、”8月に入りまして「五山の送り火」の呼び方でドヤ顔するおっさんが出没する季節になってまいりました。”というつぶやきもあるそうですし、いろいろなところで引用されている入江敦彦さんの書籍『京都人だけが知っている』にも「大文字焼き」と書かれているそうです。実はこの本、原著を探しましたが身近にありませんでした。ともあれ京都西陣生まれ「生粋の京都人」の入江さんに言われてしまえば、もう勝負は決まった感じがします。

私は、五山送り火のことを、これからは「大文字焼き」と呼ぶことにします。
こういうのを大阪では「焼き入れたらんかい」といいます(ウソ)。

ところで、前日15日のお昼ごろ台風7号が近畿地方を縦断するらしいです。
「大文字焼き」の準備にも影響が出ると思われます。
関係するみなさん、予定どおり行われてもそうでなくてもご安全に。

京都五山送り火連合会

マニュアルのありか 『HP-12C 操作ハンドブック+各種金利関係計算例』

探し物をして机の引き出しをひっくり返していたら、電卓が出てきました。
HP-12Cという、米国ヒューレット・パッカード社の金融電卓です。
この電卓の発売は、1981年です。
にも関わらず、今なおビジネスの第一線で見かけることがあります。
ご承知のとおり電子機器の寿命は短くて、ものによっては毎年新製品が登場します。
その中で、HP-12Cは40年以上経った今も現役で使われ続けています。まさに「生ける伝説」と呼べる製品です。
先日もネットフリックスで金融ものの現代映画を見ていたら、脇役の金融ブローカーのデスクにその姿がありました。

HP-12Cは愛用者が多く、みなさんがそれぞれの「推し」のポイントを語られています。
私にとっては、他の電卓に類のないクリック感のあるキーと、逆ポーランド方式の入力方法がそれです。金融電卓としての機能は、よくわかりません。統計計算に使うぐらいです。

さて、久しぶりに使おうと電源ボタンを押したら、電池切れです。電源が入りません。
ボタン電池の手持ちがなかったので、CR2032を2つ買ってきて入れました。これで復活しました。

余談ですが、ボタン電池を電気屋さんで買うと超高いです。ヤバダ電気(匿)に行ったら、2個入りが500円以上しました。
私は身体中に貧乏が染みついているのでそこでは買えず、帰りに立ち寄った100均ショップで買いました。私が買ったパッケージには100円で2つ入っていました。このパッケージは国内有名ブランドでインドネシア製でした。この100均のショップブランドのものも隣に置かれていて、そちらは中国製で3個入りが同じ値段でした。
電池1個の値段が約8倍も違うのはなぜでしょう。私の知らない「闇」でしょうか。

電源を入れると、少し複雑な計算をさせてみたくなります。
そうすると、取扱説明書が必要です。
取説、どこにしまったかな。ちょっと探しましたが見当たりません。
ヒューレット・パッカードのサイトで探しますが、やはりありません。
いろいろ検索していると、ヒューレット・パッカードのサイト自体がいくつあって、検索上位に上がってこない別サイトに取扱説明書のPDFデータがあることがわかりました。
※Thanks けろたん

さっそくそのデータを落として、いつでも参照できるようにGoogleDriveに保存しました。
だれかの参考になるかもしれませんので、下にそのURLを貼っておきます。
※メーカーの都合でリンクが切れていたらごめんなさい。

HP-12C 操作ハンドブック+各種金利関係計算例
(横川・ヒューレット・パッカード株式会社公式)

HP 12c 金融電卓クイックスタートガイド

HP-12cについてのこもごもは、また書きます。
ニーズは無いと思いますけど。

 

 

夢があるのか無いのか。よくわからない話

愛犬家はみんな大好き仮想通貨の「シバイヌコイン(SHIB)」についてお話します。
3年前、2020年8月のローンチ当日、シバイヌコインは、1SHIB=0.0000001068円でした。それがさっきチャートを見たらなんと0.0013円を付けていました。

もし発売日(3年前の今日、8月6日です)にあなたが10,000円分買っていたら、1億2172万2846円に値上がりしている計算になります。
しかも、シバイヌコインは今月中にレイヤー2となるシバリウムがカナダでローンチされる予定です。これによってシバイヌコインは枚数が減る見通しで、そうなれば価格はさらに上昇すると見られています。

この話、今頃しても夢があるのか無いのか、よくわかりません。
それと念のためですが、シバイヌコインを持っている人が1億2千万円に目がくらんで換金しようとしても、売りに出したとたん暴落して、おそらくうまくいきません。

社会保障費の負担増から身を守る方法3つ(まじめに読まないで)

社会保障費とは、医療・年金・福祉などに充てられた費用をいいます。その総額は138兆7433億円にもなっています。財源は私たちが納める税金や社会保険料です。
※2021年度の社会保障給付費。国立社会保障・人口問題研究所の発表による。

この社会保障給付費、2020年度は132兆2,211億円でした。2021年度同様に高いですね。2020年度、2021年度といえばコロナ禍真っ只中なので、当然っちゃあ、当然です。ちなみに、まだ新型コロナ感染症の影響が無かった2018年度は121 兆 5,408 億円でした。これまでの伸び率から考えて、わずか3、4年で総額が約8%も上昇するとは思えないので、上に挙げた2020年度、2021年度は異常値だと思います。この2018年度あたりの金額+αが現在の平常値ではないでしょうか。
ところが、新聞各社は2021年度のデータを「過去最高を更新」の見出しを付けて大々的に報じています。各社は、増税や社会保険料負担増の後押しをしたいのかな、とかんぐってしまいました。

それはともかく、社会保障給付費がじわじわ上昇しているのは事実です。これからも上がり続けるでしょう。社会保障給付費が増えると、当然国民の負担も増えます。税金や社会保険料の負担が増すわけです。私たちはこれらから逃れることはできません。では、どうすればいいのでしょうか。その方法を考えてみましょう。

1.節約する
身もふたもない話ですが、まず取り組むべきは節約です。基本的には、エネルギーの無駄な消費を省くことが家計にも効いてきます。水道を出しっぱなしにしない、冷蔵庫の開閉を減らすなどの具体的行動が、節約マインドを育てます。このマインドが醸成されれば、あらゆるところで節約が進み、きっと光熱水費の差額以上のリターンが得られるでしょう。かつては電灯をまめに消す、というのもこれに含まれました。しかし、ほとんどの明かりがLED化した今では、あまり意味がなくなりました。
散髪は、あなたがモデルさんでなければ、例の「ヘアカット専門店」で充分です。あなたの時間とお金を大きく節約できます。だいたい家に帰って風呂に入れば効果がゼロになる洗髪にお金を払うのはまったくムダです。それに、毎日たくさんの人をカットしている「ヘアカット専門店」のスタッフは技量が安定していて安心です。
なにが言いたいのかと言えば、節約にはマインドと理屈の両方が必要だということです。
その意味で、食費を削るのは慎重にした方がいいと思います。病気になったらかえってお金がかかります。節約するなら外食を止めてできるだけ自炊にするなど、健康を維持できる方向に舵を切りましょう。いま病気を患っている人、その予備軍の人は、その治療や予防にかけるお金を削ってはいけません。ほとんどの場合、さらにお金が掛かるようになります。なにより、健康でいることが生きる上で一番大切です。

2.無駄を見直す
次は無駄の見直しです。暮らしを見回して、無駄な費用をかけているところを削ります。家計の支出は「生活必需費」「遊びのお金」「お小遣い」「税金」「それ以外の特別なお金」の5種類しかありません。この5種類の支出を「なぜ、そのお金を使う必要があるのか」という視点で見直します。
たとえば賃貸住宅に住んでいる人は家賃を見直してみるといいかもしれません。家賃が高いのは、だいたい広くて便利がいいところです。果たして、その広さの住居が必要か。またその利便性は必須なのかを考え直すと、案外安いところで充分だったりします。
また、クルマは所有しているだけでお金がけっこう掛かるので、思い切って手放すと家計が変わります。まったく個人的な例ですが、たびたび故障する古いBMWは、”愛人を囲っているのか”(知りませんが)と思うぐらい金喰い虫でした。エンジンが不調になって大修理を余儀なくされた時は、クレジットカードの引き落としに怯えましたが、手放した今では、そういうことはまったく無くなりました。ヤリスやデミオなど新しい国産のコンパクトカーだと、それほど目に見える支出の変化は無いかもしれません。その場合は、生活の利便性とのバランスで考えてみてください。
無駄の見直しが上の節約と異なるのは、生活水準に大きな影響を与えずにキャッシュフローを改善できることです。

3.もうひとつ収入を得る方法をみつける
もしかすると、これが本命かもしれません。なぜなら、家計に必要なお金をゼロにできない以上、縮小均衡の対策である節約やムダを省く方法にはおのずから限界があるからです。反対に、もし収入を増やすことができれば、その余地は上方に無限に広げることができます。
ここで収入を増やす方法を具体的に挙げられればいいのですが、残念ながらそれはわかりません。考え方としては、いまの仕事の延長で考えるか、まったく別のことをして稼ぐかのいずれか、もしくは両方ですが、これもケースバイケースとしか申し上げようがありません。
主観的なことを言えば、私はいまの仕事の延長もしくはその周辺で、もうひとつの収入を得る方法を考えた方が成功率は高いのではないかと思っています。それは、まったく新しい領域でゼロから積み上げるより、いまの知識、スキル、人脈などとのシナジーが期待できるからです。つまり、ゼロからのスタートではない分、成功率は高くなるということです。その上で、現在の仕事とどう位相をずらすか、というのがポイントになるのではないでしょうか。
たとえば、不動産の営業マンが住宅購入のコンサルタントとして開業する、企業の総務担当者が社会保険労務士の資格をとって開業を目指す、社会福祉施設の職員が福祉系専門職養成校の教員として教壇にも立つなどの形が考えられるでしょう。最後のは、やりがいだけはめちゃくちゃありますが、収入の点では「労多くして功少なし」の典型(ていうか、実質マイナスかも)なので、この項の主旨とは少し違うかもしれません(実話)。
この方法のリスクは、いまの仕事の延長で行うので、業界自体が傾くと両方の収入が同時に絶たれる可能性があることです。その意味では、まったく別のことをして稼いだ方がリスク分散できていいという見方もできます。いずれにしても、現在の仕事を損なわないのが前提なので、考えておかないといけないことは多いです。このブログではやみくもに副業を勧めるわけではありません。

今後、収入増は期待できないけれど税金や社会保険料の負担は増える一方だと思います。こうした状況で、どのように家計と暮らしを整えていけばよいか、これからも考えてみようと思います。

超訳 「先ず隗より始めよ」(大阪弁バージョン)

中国の戦国時代、燕の昭王(後に秦の第28代君主となる昭襄王)は、戦いで亡くなった者を丁寧に弔い、怪我をした者を見舞いました。また身分が下のものにも丁寧な言葉遣いで接していました。それは、この戦乱の世で自分をサポートしてくれる優秀な人材を確保するためでもありました。

昭王「あかーん、ぜんぜん応募が無いやん」
郭隗「あきませんなあ」
昭王「おまえ、先週就職フェア行ってたやん。どないやった?」
郭隗「さっぱりでしたわ」
昭王「あかんかったか」
郭隗「お昼過ぎから夕方までブースに座ってましたけど…」
昭王「ほう」
郭隗「学生がひとりふたりのぞきに来ただけでした」
昭王「その学生にうちのパンフレットは渡したんか」
郭隗「追いかけていって、渡しました」
昭王「それで?」
郭隗「キモっ、言われました」
昭王「あかんやーん」
郭隗「隣のブースで、株式会社が運営している介護施設が…」
昭王「どうせ、めっちゃ賑やかに盛り上げてるんやろ」
郭隗「そうですねん。あんな下品クリエイティブなこともできへんし」
昭王「いま、危なかったな」
郭隗「社会福祉法人のプライドが邪魔しましてん」
昭王「とはいえ、株式会社のとこへは学生殺到や」
郭隗「そうですねん」
昭王「ほな、おまえ半日かけて何してきてん」
郭隗「せやから、ブースに座って、待って…」
昭王「仕事できひんやっちゃなー」
郭隗「すんまへん」
昭王「ていうか、ちょっと待て。なんで福祉施設の求人の話になってるねん」
郭隗「書いてるおっさんが、それで頭の中いっぱいになってるからとちゃいますか」
昭王「いまは、戦国時代のわしの参謀を募る話しや」
郭隗「そうでした」
昭王「なんか、ええ手はないかなあ」
郭隗「それやったら、あてに腹案がおます」
昭王「高給優遇か?」
郭隗「そんなことだけしても、ええ人は来まへん」
昭王「まあ、金目当てで来られてもなあ」
郭隗「ええ人材を確保するには競争が必要だす」
昭王「競争?」
郭隗「そうだす。できるだけ大勢の応募者の中から優秀なやつを選ぶんですわ」
昭王「おまえな、誰も応募が無いのにどない競争さすねん。あほも休み休み言えよ」
郭隗「そこが腹案ですねん」
昭王「どういうこっちゃ」
郭隗「まず、私を参謀として採りなはれ。それで高給で優遇。」
昭王「あほか。お前みたいなお調子もんが一番あかんねん」
郭隗「そうでっしゃろ」
昭王「いや、なにゆうてんねん」
郭隗「そしたら、応募がわんさか来ます」
昭王「なんでやねん」
郭隗「たとえ話ですけどな、死んだ馬を金払うて買うたったら、”あの王様は死んだ馬にでも金を払うんやから、生きてる馬やったらもっと高い金を出すんとちゃうか”って、みんな思いまっしゃろ」
昭王「まあ、ゆうてることはわかる」
郭隗「それと同んなじことで、私を採ったら”あいつでも採用されて、しかも高給もろてる。そしたら俺も採用されるんちゃうか”ってみんな思うやろ、ゆう算段ですわ」
昭王「……」
郭隗「どないだす?」
昭王「ちょっとまて。それ、ええ方法かもしれへんな」
郭隗「へっへっへっ…」

上のお話は、『戦後策』で郭隗が昭王にした話(要約=もし王様が、ほんとうにすぐれた人材を集めようとされるなら、まず私のようななんの取り柄もない人間を重用してください。そうすれば、私のような者さえ取り上げられたという評判がたって、もっとすぐれた人が集まってきます)をもとにしています。「隗」は人名だったんですね。
しかし、この「先ず隗より始めよ」は、わが国では「言い出した者から実行せよ」「物事を行うときは、まず身近なことから始めるべき」という意味で使われています。こちらの意味で使っている人たちにこの『戦後策』の解釈を話しても、おそらくすなおには受け入れてくれません。ていうか、私が話しても聞いてくれませんでした。そういう人たちに浅い理解でこれ以上の話しをするのは無理なので、早々に退散しました。そんなわけで、みなさんも生半可な知識で誰かに話しちゃダメですよ。

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