いわゆる「えべっさん」です。1月9日~11日の3日間が十日戎です。それぞれ「宵戎(9日)」「本戎(10日)」「残り福(11日)と呼ばれます。
私は、十日戎は初詣より盛り上がる…ものだと思っていましたが、それは私がえびす宮総本社がある西宮市に生まれ育ったからかもしれません。まあこの期間中に西宮神社へ行くと「えらい盛り上がり」なのは確かです。
十日戎は、とにかく人が多くて混んでいます。
周辺道路も大渋滞でクルマだとなかなか近づけません。当然駐車場もすごく待ちます。どうしてもということでなければクルマで行くのは現実的ではありません。クルマでないと行けない人もいます。それ以外の方法で行ける人はクルマで行くのを止めましょう。
公共交通機関だと、阪神電車西宮駅が最寄りです。平時だとここから10分もあれば赤門をくぐって境内に入り本殿まで行くことができます。
しかし、十日戎の一番混んでいる時間(10日の夜)はめちゃくちゃ時間がかかります。私は、この10分の道のりに1時間近くかかった経験があります。普通に30~40分程度は見ておく必要があるでしょう。その間、ずっと人混みにもまれ続けます。体調が悪いと厳しいかもしれません。
本殿手前に手水舎があります。面倒くさいのか、ほとんどの人がスルーしていきます。とはいえちゃんとする人も多いので、十日戎の間は大変混雑していると思います。面倒くさいといっても、手水は本来ならば白装束で頭から水をかぶって清めるのを最大限簡略化したものなので、たいしたことではありません。穢れを清めてお参りするために大切なことです。ぜひここで手や口を洗って心身を清めましょう。
ようやく本殿前までくると、まず入口でお祓いを受けます。
神職の方が台の上でお祓い棒を振っています。この棒は、正しくは「おおぬさ(大麻)」といいます。それを参拝者の頭の上で振るのは、おおぬさに邪気を移す儀式です。振り方に決まりがあります。お祓いを受ける人からみて、左→右→左が正式です。よく見ていると、右へ振ってから左に戻る時、真ん中で止める人もいます。私にはそちらの方がこなれたしぐさに見えるのですが、もしかすると神様は首をかしげているかもしれません。
もうひとつ、おおぬさでお祓いをする時に音を立てるか静かにするかというのも神社によって異なります。伊勢の内宮でお祓いを受けた時は本当に静かに振っておられました。伺うと、音を立ててはいけないのだそうです。反対に、盛大にシャッシャッと鳴らすところもあります。えべっさんは後者です。商売繁盛の神様は賑やかな方がいいと思うので、えべっさんはこれでいいと思います。
本殿の中へ進むと、左手に神戸市東部水産物卸売協同組合が奉納した「招福本マグロ」が鎮座しています。ご覧になった方も多いと思いますが、このマグロに硬貨を貼り付ける人が後を絶ちません。おそらく本戎(10日)の夜には頭から尾っぽまでびっしりとお金が貼りついているでしょう。それをどう感じるかは人それぞれですが、このマグロをご神体になぞらえているなら「あり」だと思います。逆に食べ物にしか見えない私はちょっと勘弁、です。
実は、このマグロといっしょに鯛も2尾奉納されています。2尾なのは神前に奉納する鯛は雄雌2尾が決まりだからです。ちなみに、えべっさんの熊手に鯛があしらわれたのは江戸時代、えべっさんに「招福本マグロ」の奉納が始まったのは1970年です。えべっさんとの関係はマグロより鯛の方がずっと古いのに、マグロばかり目立っているのは鯛にとって不本意だと思います。
さて、お参りです。
正面にお賽銭箱があります。お賽銭は「投げる」と言います。祓津物(はらえつもの)と言って、自分自身のお祓いのために投げうつものだからです。丁寧に「納める」とか「奉納する」と言う人がいます。間違いではないと思いますが、私には「投げる」がしっくりきます。とはいえ、実際には、乱暴に投げ入れいるのではなく静かにお納めする気持ちで入れるのがいいように思います。
お賽銭はいくらぐらいすればいいでしょうか。これについて、竹田恒泰さんがおもしろいことを言っていました。いわく「先輩の家に頼み事をしに行く。当然手土産を持っていくだろう。いくらの手土産を持っていくか。1千円では少ない。やはり2、3千円というところだろうか。同じように神様のところへお願い事にいく。それがどうして10円や100円でいいと思うのか。失礼ではないか」。しかし神職のブログを見ると「いくらでも、お気持ちでかまいません」と書いてあります。竹田さんと本職の神主、どちらについていくべきでしょうか。
竹田さんの言い分はもっともですが、お礼や気持ちには世間の相場というものがあります。その相場からかけ離れて多くても少なくても常識を疑われます。自分がしっかりとしていれば、もし常識を疑われるようなことになってもびくともしないのでしょうが、私は足元の定まらない小市民です。竹田さんの言い分に後ろ髪をひかれながらも、大勢に流されることにしました。とはいえ、今後はせめて100円を下限にしようと思います。
参道は真ん中を歩いてはいけませんが、参拝はできるだけ本殿の中央に立ちたいものです。そう思う人が多いようで、参拝待ちの行列は中央が長く、両端は閑散としています。神様的にはどこに立ってもバリューは同じらしいです。でも、せっかくお賽銭を投げるのですから、自分の流儀を押し通したいのが人の子の気持ちです。
少し待って本殿中央を最前列まで進みます。お賽銭箱に100円玉をひとつ静かに投げ入れて、2礼、2拍手、1礼。メリハリをつけてお辞儀することと、2拍の動作に入る時、いったん両掌をきちんと重ねてから、右の掌を少し下にずらして柏手をパンパンと音高く打つと、周りの人に参拝慣れしているように見せかけることができます。見せかけることにどんな意味があるのかはわかりませんが。
参拝が済んだら、速やかに退去しましょう。
ここで悩むのは本殿に向かって右に出るか左に出るかです。多くの人は、本殿に入ってきた方向に戻ろうと右へ出ていきます。おすすめは左です。右に行くより少し空いているし、別の神様にお参りすることもできるからです。
御神籤を引いたり福笹を授かるのは本殿を出てからです。えべっさんの御神籤は、今年は感染症対策で御神籤箱を置かず、直接くじを引く方法に変わっているようです。お守りがほしい人もここにあります。お守りには値段がついていますが、あれは入れ物の代金です。実は、西宮神社では中身だけを授与されています。お守りを授けている社務所のカウンターの一番端に、お守りの中身だけが山積みにされています。必要な分だけ授かりましょう。そばにお賽銭を置くところがあります。ここはお気持ちで大丈夫です。
参拝が済んだら、参道を南門まで人の流れにまかせてゆっくりと歩いていきます。何十年も前には、この帰り道中に見世物小屋がありました。そこで呼び込みのおばちゃんが渋い声で「親の因果が子に報い~」なんて、今にして思えばとんでもない口上を垂れていたことを思い出したりします。どうでもいいハナシですが、当時この口上を聞いた時、「親の因果が~っていうのは、仏教の”因果応報”が元だろうが、因果応報は、自分の前世の行いが現世の自分に報うことで、それが家族にまでっていうのはちょっと無理筋だよな」とか思っていました。今、これを書くために調べたら、やはり飛躍しすぎだそうです。中国の孝経の影響ではないかとする説もありました。孝経は、国家が定めた法律より家族関係が勝るという考え方ですから、世代を超えても報いがあるとされるのでしょう。知らんけど。
南門から境内の外へ出ると、今年のえびす宮総本社西宮神社十日戎参拝はおしまいです。
お気をつけてお帰りください。