通勤で毎日大阪メトロ中央線に乗っています。途中、弁天町駅を通ります。
実はこの弁天町駅、地下鉄の単独駅としては日本一高いところにあるそうです。
その高さ13.7mとか。
すごいというか、なんというか。
そういえば、高校生になって初めて中央線に乗った時、車体や窓が雨でびしょ濡れになっているのを見て不思議な気持ちになったのを思い出しました。
通勤で毎日大阪メトロ中央線に乗っています。途中、弁天町駅を通ります。
実はこの弁天町駅、地下鉄の単独駅としては日本一高いところにあるそうです。
その高さ13.7mとか。
すごいというか、なんというか。
そういえば、高校生になって初めて中央線に乗った時、車体や窓が雨でびしょ濡れになっているのを見て不思議な気持ちになったのを思い出しました。
おはようございます。雪が夕べから断続的に降っています。自宅前の道路にも、久しぶりに積もりました。といっても、自動車が何台か通ると溶けてアスファルトが見える程度ですが。
関西は冬でもそれほど気温が下がりません。夜に降った雪はとたんに溶けて、明け方の冷え込みで凍ります。
だから、当地で怖いのは雪より道路の凍結です。
気をつけていってらっしゃい。
ちょっとタイトルの付け方を間違ったなと思いました。が、このままいきます。
私は料理番組を見るのが好きです。
昨日もインターネットで、ある料理チャンネルを見ていました。
そのチャンネルは初めてでしたが、個人が動画をアップロードしているようなものではなく、テレビ番組のようにプロフェッショナルな作りでした。
番組のコンセプトは、美味しい料理を家庭で簡単に作るコツを教えるという感じです。
ここから先は、内容が内容なので具体的に書くのを控えます。
画面の中で男性が料理を作っています。
作っているのは和食です。作りながらこの男性が時々説明をします。
それはいいんですが、これがちょっと微妙なんです。
まず、なにをしゃべっているのかよくわかりません。
くぐもった声で時々ぼそぼそとしゃべります。
しゃべっている内容は画面下に字幕が出ているのでわかります。だから、料理チャンネルとしては成立しているんです。だけど…です。
ところが、この男性が使っている包丁がやたらいいんです。
高価な、という意味ではなく、すごくいい包丁をきちんと手入れして使っています。もちろんいい物なので結果的にすごく高価だと思います。私、生育歴上の問題で刃物を見る目は養われています(何故)。この見立てには自信があります。
で、トークはそんな感じですが、道具と手際はおそろしく良くて、どんどん料理が進んでいきます。作っているのは一汁三菜的なものであることが、ここにきてわかりました。
盛り付けにはいると、突然、男性が顔を上げてカメラに視線を向けました。
そしてふっふっふっと笑いました。
なにか面白いことをしゃべって自分で受けているようです。
あわてて字幕に目を移すと、次のように出ています。
「葉皿にかいしきは使わない。だぶるからね」
ちょっと説明すると、料理の下に敷かれているシソの葉や笹の葉などを「かいしき」と言います。
懐紙を折って敷く「紙かいしき」と区別するために、葉を使うものを「青かいしき」と呼ぶこともあります。漢字は「掻敷」です。”(食事を盛る時に)下に敷くもの”という意味です。
ここで男性が話したのは「葉っぱを模した皿に青かいしきをつかうと、葉っぱの上に葉っぱが重なってしまう。だから葉皿にはかいしきを使わずに直接盛り付ける」という意味の、日本料理の作法でした。
一事が万事こんな様子で、男性がなにか話している→字幕を見る、でないと内容がつかめません。
ていうか、かいしきのくだりは字幕を見ても簡略化されすぎていて、普通なんだかわかりません。
「こまったおっさんやなあ、人選ミスとちゃうかこの番組」
とか独り言を言いながら見ていると、料理が出来上がってテーブルに並べられました。
そこに、食べる役が登場します。
関東地方の地下アイドルに似た人がいたように思い妙齢の女性です。
まあ型通りに、美味しい美味しい、ちょっとした工夫でこんなに美味しくなるんですね~、とかいう予想どおりの展開です。
そしてチャンネルは、この女性が食べながらおっさんと会話しているシーンに移り、トークがBGMに入れ替わってエンディングへ向かいます。
そこにおっさんのプロフィールが流れます。
なんと、料理人としておよそ50年、関西の超有名料亭でみっちりと修行された方でした。画面には、その流れを受け継ぐ店で長く板長を務めた後独立、今は自分の名前を冠した店で包丁を振るうみたいなのがずーっと流れていきます。めちゃめちゃすごい人やん、この「先生」。
そう思って画面を見ると、盛り付けが、そんな料理じゃないのにムダに山水になっています。
なんということのない一汁三菜の並びが本膳料理のようにも見えてきます。おそらく錯覚なんですけどね。
この「先生」、番組で料理を作っている時は、そのぼそぼそトークからあまりよい印象はありませんでした。
しかしエンディングでものすごい経歴が紹介されると、突如後光が差して見えました。
これが、社会心理学用語でいう「ハロー効果」です(でいいのかな?)。
※ハロー効果…ある対象を評価する時に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる(認知バイアス)現象のこと。
Wikipedia ハロー効果
ハロー効果をうまく活用すれば、みんなすごい人に見えるかもしれません。
といっても、ハロー効果を生むような専門家としての見識もなければ、外見もよくないぽんこつの私はいったいどうすればいいんでしょうか。
ハロー効果っていうと、実際以上(以下)に評価が歪む現象としてネガティブに使われることが多い印象ですが、人事考課ならともかく、誰が見てもすごい人に見えるほどハロー効果を生じさせる実績って、それ自体すごい努力のたまものじゃないでしょうか。無理やん。
ここまで書いて気づきましたが、さっき番組の中で食べる役の女性が「ちょっとした工夫でこんなに美味しくなるんですね~」とか言ってたと書きました。でもそれはたぶんちょっとした工夫なんかじゃなくて、熟練した職員の技の神髄とかじゃないでしょうか。だとしたら、まったく失礼な話です。
サウイフモノニワタシハナリタイ と思いました。
みんな大好きヤマザキのミニアンパンが、最近4個入になりました。
そのニュースを探していて、「片親パン」という言葉を知りました。
※「片親パン」とは、片親で貧困家庭の子どもが食べていそうな安価で量がたくさん入った5個入りのアンパンやチョコスティックパンなどのことを意味する差別的な表現。2021年10月ころにTwitterで投稿された内容が発祥といわれている。もとは差別的な意図はなかったらしい。
似た言葉に「和室界隈」「アフガキ」「負け組ランドセル」がある。
ひどく悲しいのはどうしてでしょうか。
「今週は厳しい寒さに」 天気予報がそう言っています。
寒いと布団が恋しくなります。
朝、目が覚めても布団から出られない、出たくない。
冬の間、そういうことが毎日続く。これは当たり前のこと…
だと思っていました。
ところが、寒い朝でも普通に起きられる住まいがあるらしいです。
きっかけは、ヒートショックについて調べたことでした。
ヒートショックとは、急激な温度の変化で身体がダメージを受ける状態なんだそうです。
なんだかわかったようでわからない説明です。
急激な温度の変化で身体がダメージを受ける?
温度変化といっても、せいぜい数度だろうと思っていました。
冬は室温が低い。仮に暖房を効かせていて18℃だとします。
ここからトイレに行くとします。
まさか氷点下ということはありません(まだ水は凍っていませんからね)。せいぜい2~4℃でしょう。
その温度差、16~14℃です。
厳しいっちゃあ厳しいですが、「ショック」なんて言うほどではありません。
そういう認識でした。
答えからいうと、これは間違いでした。
どうやら温度差というのは、自分の周りの温度を直に測らないといけないらしいです。
どういうことでしょう。
まず私は布団の中にいます、その時の温度はおそらく33~34℃です。
布団を出ると、まず室内の温度(18℃)にさらされます。ここで温度差16℃です。
この時点ですでに無理な気がします。起きられなかったのはそういうことだったのでした。
さらに、廊下を歩いてトイレに行きます。
換気のために窓が開いていたりします(だいたい開いています)。
冬の夜だと外気温2℃というのは普通にあります。零度なんて時も珍しくありません。
窓が開いていても外気温そのままってことは無いでしょうが、+2℃として4~2℃です。
ということは、冬の夜中にトイレへ行く場合、非常に短い時間のうちに身体は30℃以上の温度差にさらされることになります。
30℃以上ということは、何十℃という温度差です(いみふ)。
これでヒートショックが起きないほうが不思議です(確かにふしぎ)。
これを防ぐには、寝室からトイレまで、屋内の温度差を少なくする必要があります。
そういう家なら、冬の朝布団から抜け出せなくて遅刻しそう、なんてことも無くなりそうです。
で、どうするか。
魔法の呪文を唱えるんだそうです。
こうだんねつこうきみつ、こうだんねつこうきみつ、こうだんねつこうきみつ。
(この項続きます)
私は「現場の人」ですが、時々アカデミックと現場を行ったり来たりしています。
で、純粋なアカデミックの人たちとお話していると、彼らにはどうやら2つのタイプがあるように感じます。
そのタイプとは、(1)正解を求めるタイプと、(2)最新を求めるタイプです。
(1)正解を求めるタイプは、(当然ですが)間違ったことがだいきらいです。異論は認めません。やっかいなのは、ほとんどの場合、正解=自説であることです。だから、こういう人はだいたい怒っています。私はこのタイプの人から「間違いです」と言われたことが数限りなくあります。
これに対して、(2)最新を求めるタイプは、正しいかどうか少し微妙なことでも、一応論理的に成立していればオーケーです。このタイプの人はだいたい笑っています。私なんかが現場で起こったことを無理やりアカデミックに振って話すと、エビデンスなんかめちゃくちゃ甘くても「いいね、おもしろいね、それ」的な反応が返ってきて、ふたりでバカ笑いになります。
不思議なのは、両方をバランスよく備えた人がめったにいないことです。
さて、アカデミックなあなた。どちらのタイプですか。
※社会人としての注
どちらのタイプの先生も、個人的にはいいお付き合いをさせていただいています。←取ってつけたような言い訳やん。
さて、みんな大好きカルディでエコバックをプレゼント中です。
プレゼントは、1月10日から配布が始まっています。1回の会計で税込み2,500円以上購入するともらえます。
昨日カルディに寄って400円のチョコレートをひとつ買ったら「エコバックプレゼント中です。2500円…。あ、いいですか」と確認されてしまいました。まだプレゼントは残っているようです。
プリントされているのは”カルディ伝説”という柄。
「ああ、”クォルディ”(ネイティブ風に)ね」というあの柄です。
実店舗限定。バックが無くなったら終了です。
みんな、カルディへ急げ。
https://www.kaldi.co.jp/news/pickup/miniecobag_present_20230110.html
カルディ伝説について(超解釈)
青年KALDIはエチオピアで山羊追いをして暮らしていた。
ある時、彼が連れているヤギがめちゃ興奮しているのを見た。
KALDI「おまえら、どないしたんや」
ヤギたち「どないもこないもあらしまへん。なんか興奮しますのや」
K「なんか悪いもんでも食べたんとちゃうか」
ヤ「そら、こんなとこ見たら普通そう思いますわな」
K「どういうことや」
ヤ「あれを食べましたんや」
K「なにを?」
ヤ「あれですやん、あそこになっている赤い実」
K「これか?」
ヤ「そう、それそれ」
K「どれどれ」
ヤ「あ、なにしますんや。にいさん足元気ぃつけなはれや」
K「採れた採れた。いや、どんな味かと思うて」
ヤ「美味しおます」
K「ほんまや。これいけるわ。甘酸っぱくておいしいなあ」
ヤ「いけますやろ」
K「うん、おいしいおいしい。ほんで、なんやええ気分になってきたぞ」
エチオピアで山羊追いをしている青年KALDI君。飼っている山羊が興奮しているので調べたところ、どうも赤い実を食べたようだった。それで自分も食べたらいい気分になった。で、近所の修行僧たちにも勧めた。修道僧もこれで厳しい修業を乗り切ることができた。これはすごい、というので広まった。この赤い実の正体はコーヒーチェリー。
それを見つけた青年の名前をとって、コーヒーの発見を「カルディ伝説」と言うようになったとさ。
※ご質問を頂いたので、ここにも回答を残しておきます。
全国救護施設協議会(全救協)では、救護施設の個別支援計画はバックキャスティングで作ることを勧めています。
バックキャスティングとは、まずゴールを設定し、次に現在の状態をアセスメントして、ゴールに置いた目標を実現するための取り組みを逆算して考える方法です。反対に、まずアセスメントを実施し、そこから積み上げてゴールを設定する方法はフォアキャスティングと言います。
なぜ全救協版の個別支援計画はバックキャスティングなのか。それは、まず救護施設が他法優先の施設であること、次に支援を社会モデルで考えていることがおもな理由です。
救護施設は他法優先の施設なので、まだ支援制度や支援のツールが整っていないケースを受け入れることがあります。こうしたケースには、オーダーメイドで支援を組み立てて提供する必要があります。その時は、まずゴールを定めてから、それを実現する方法を考えるのが合理的です。また、これまで救護施設の支援が「悪いところ」を探して改善する、いわゆる医療モデルになりがちだったのを改めようとしたからでもあります。
バックキャスティングは、SGDsなどでも使われている方法です。
救護施設個別支援計画におけるバックキャスティングの実際(フレームワーク)は、全救協の研修などで詳しく解説しています。救護施設にお勤めでご関心をお持ちの方は、そうした研修の受講をお勧めします。
職場で避けるべき話題(※)として有名な「目玉焼きになにをかけるか」論争に結論が出たとツイッターに投稿があがりました。
スタジオジブリの公式が、宮崎駿監督の発言として「目玉焼きは洋食なのでソースです」を紹介し、これをもって論争は「終了しました」と言っています。
※本当に職場で避けるべき話題は、「政治」「お金」「宗教」「家庭」の話しです。念のため。
私は、1976年に「カルピス名作劇場 フランダースの犬」を観て以来、宮崎監督には最大限のリスペクトを払っています。しかし、この発言にはまったく同意できません。
わが国には「洋食」「和食」「目玉焼き」という3つの食があります。
私がここで主張するのは「目玉焼きは”目玉焼き”という独立した食である」ということです。
その理由を、実例を用いてごく簡単に説明します。
宮崎監督の定義は、ソースをかけるのが洋食で、醤油をかけるのが和食というものです。
ご同意いただける方も多いと思いますが、目玉焼きは、ソースをかけても醤油をかけても目玉焼きです。かけるものによって、洋食に見えたり和食だと感じたりすることはあるかもしれませんが、彼は「目玉焼き」と呼ばれたままです。
このように、目玉焼きには他の料理とは異なって、そのようなことでは揺らがない強力なアイデンティティ(?)があります。
なにが言いたいのかというと、目玉焼きは、ソース=洋食、醤油=和食、の分類にはまったく当てはまらないということです。だから、洋食でもなく、和食でもない、”目玉焼き”という「食」だと言えます。
一般に私たちがイメージする目玉焼きは、たとえばなか卯の「目玉焼き朝定職」についてくる目玉焼きです。
この「目玉焼き朝定職」の目玉焼きには、100人中100人が醤油をかけます(※)。
だから、この目玉焼きは和食です。
※なか卯のカウンターには醤油しか用意されていないからです(ソースはありません)。
しかし、目玉焼きは調理方法次第で完全な洋食になります。
たとえば、おうちで簡単に作れる”イタリア風フライドエッグ”です。
コンロにフライパンを傾けて置き、多めのオリーブオイルを入れます。
火をつけて、オリーブオイルの溜まったところに卵を割って入れます。
温度を上げていって、熱くなったオリーブオイルを大きめのスプーンで卵に掛けまわしながら加熱します。
すると、まず白身がふくらんでカリカリになります。
そのうちに、卵全体に熱が回って揚げたようになります。黄身が半熟になったら出来上がりです。
この方法で作ると、目玉焼きは言葉どおりの”フライドエッグ”になります。
できた目玉焼きをスプーンですくって皿に移し、塩コショウを振って完成です。
味付けをひとつで済ませたいならクレイジーソルトでもかまいません。
もしこの目玉焼きに、塩コショウの代わりにかけるとしたら、ソースでしょうか醤油でしょうか。
断言しますが、これにはソースしかありません。醤油だと破綻します。
つまり、この”イタリア風目玉焼き”は洋食です。
※余談ですが、ごちそう感を出したい時は、最初にオリーブオイルを温める時に、刻みたてのニンニクひと欠片と鷹の爪一つまみをいれて煮たたせ、香りをオイルに移します。ニンニクと鷹の爪を引き上げたところに卵を割り入れて作ると、めちゃくちゃアーリオ・オーリオでペペロンチーノなフライドエッグが、もうこんなに(変)。
では、喫茶Y(大阪・中津)のモーニング、ベーコンエッグの目玉焼きはどうでしょう。
注文して、さあ出てきました。なんと目玉焼きの上にカリカリのベーコンが覆い被さっています。
ふつうベーコンは下です。逆やろ、とつっこまなければ先に進めません。ここは大阪ですから。
そのベーコンは半端な量ではありません。目玉焼きがほとんど見えません。爆盛りです。
その下の目玉焼きも半端な数ではありません。卵は4個も使われています(本当)。爆盛りです。
これになにをかけるかというと、もうソースでも醤油でもありません。
目玉焼きには、すでにベーコンがかかっているからです。ベーコンをかけて食べます(言葉がバグっています)。
そして、これは、なんでしょう。味噌汁がついています。
あ、トーストもついています。それも尋常なボリュームではありません。一斤です(本当)。
そういえば、パンの向こうには本命のはずのコーヒーが見え隠れしています。うーん、このモーニングは洋食かな、和食かな。
宮崎説では、洋食はソース、和食は醤油と決まっています。
目玉焼きは、ソースや醤油だけでなく、塩、胡椒、唐辛子、果ては喫茶Yのようにベーコンをかけることもあります。そして、そのどれとでもうまくやっていけます。
このように、まわり次第で何者にでもなれる目玉焼きは、洋食、和食の枠の外にある、第3の食だと言えるのではないでしょうか。言えるよね。言っていいかな。ねぇ。
この時起こった兵庫県南部地震で、阪神・淡路大震災が発生しました。
犠牲者6,434名。行方不明 3名、負傷者43,792名に上りました。
あれから28年経ちました。
当時も被災地に住んでいた私には、今日が命日の知人がいます。
哀悼の意を表します。