秦の始皇帝は自身の後継者を遺書で示しました。
始皇帝の側近で、実質的権力者であった宦官の趙高は、この遺書をこっそり書き換えて、始皇帝の死後、自分が操りやすい新皇帝を据えることに成功しました。
この時、趙高の気がかりは、部下が自分に従うかどうかでした。
新皇帝「みんな集まってるかな。そうしたら、趙高、会議をはじめてくれるかな」
趙高 「御門、その前にご覧いただきたいものがございます。それ、こちらへ」
新皇帝「なになに」
趙高 「馬にございます」
(ぴぃー)
新皇帝「こ、これが馬? ぴぃーって鳴いてるやん。鹿とちゃうか」
趙高 「いや、馬です。鹿に見えても、馬」
新皇帝「そんならこの立派なツノはなんや。違和感ハンパないんやけど」
趙高 「タテガミとちゃいますか」
新皇帝「こんなタテガミがあるかいな」
趙高 「たぶん路上暮らしが長かったんですやろ」
新皇帝「風呂に入られへんかったから固まってるっちゅうわけか」
趙高 「そのようなことかと」
新皇帝「そんなアホな。ほら、煎餅あげたら食べてるし」
趙高 「馬煎餅ですな」
新皇帝「そんなんあるかいな」
趙高 「この春、新発売です。今ならもう一袋プレゼント」
新皇帝「それはええねん。オレには鹿に見えるけどなあ」
趙高 「ほんなら、私の部下に聞いてみましょか。李氏、これは馬か?」
李氏 「(趙のおっさん怖いからなあ)馬ですっ!」
趙高 「その通りっ! 次、王氏は?」
王氏 「馬、かと。(おっさん、怖っわー)」
趙高 「よしっ! 次、張氏っ」
張氏 「(無難にいこか)馬やと思います」
趙高 「あ? 思いますってなんや? よう聞こえへんかったなぁ」
張氏 「いや、馬に決まってますっ(やばいやばい)」
趙高 「そのとおり、これは馬やなあ。劉氏はどうや、これ何に見える?」
劉氏 「(居眠りしてた。え、なんやろ?)あ、はい。鹿です」
趙高 「え、なんやて?」
劉氏 「その動物は、鹿です。(もっと丁寧に答えたらええんかな)立派な雄の鹿」
趙高 「……。劉氏、もう1回聞くけど、これはなんや?」
劉氏 「鹿です(これが鹿でなかったらなんやねん)」
趙高 「ほう、これが鹿と…。コラ、お前。いまさら吐いたツバ飲み込むなよ!」
李氏、王氏、張氏(趙のおっさん、めっちゃいきり立ってるやん)
劉氏 (怒ってるなぁ。なんでやろ)
趙高 「陳氏はどうや、ああっ?」
陳氏 「馬です、馬。絶対に馬(口が裂けても鹿とは言われへん雰囲気や)」
趙高 「さて、御門。お聞きのように、有識者調査の結果、これは馬に決まりました」
新皇帝「ほんまかいな。ひとり”鹿”ゆうたヤツおったやん」
趙高 「は? 恐れながら聞き違いでは」
新皇帝「そこにおる劉とか言う、あれ、そこにおったのに…」
趙高 「いえ、劉などという者は私の元におりませんが」
李氏、王氏、張氏、陳氏(さっき、頭から袋かぶせられて連れていかれたやん)
秦の時代、宦官の趙高が、皇帝に「馬」と言って鹿を献上しました。当然、皇帝はこれを「鹿」だと言いました。
これは、実は趙高が、自分に従う者と、皇帝に従う者を区別するために仕掛けた計略でした。
部下には、趙高の言い分に従って「馬」と答えた者と、皇帝の言うとおり「鹿」と答えた者がいました。
趙高は、自分に従わず「鹿」と言った者を殺してしまいました。
このことから、権力によって無理を通すことや、これに従うことを「馬鹿」というようになりました。
※「馬鹿」の語源は諸説あります。上の超訳はそのひとつ「史記」を参考に書き起こしたしたものです。
このエントリを書くために調べた限りでは、サンスクリット語で「無知・愚か」を意味する”moha”の音を拾った”莫迦”が、転じて「馬鹿」になったという説がもっとも有力なようです。
これと比べて「史記由来説」は少数説に過ぎません。異論がたくさんあります。だから、誰かに話しちゃダメですよ。